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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4

1名無しさん@おーぷん:2014/11/13(木)06:31:11 ID:NkdguPUWK()
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。

前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
2名無しさん@おーぷん :2014/11/13(木)06:41:30 ID:Ai55JmL7o
なぜか最後が切れてしまいましたorz

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/

それでは、みんなでマターリいきましょう(^^)/
3名無しさん@おーぷん :2014/11/13(木)06:55:18 ID:Ai55JmL7o
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 53) ---
PATTERNS OF THE SEPHIROTH
セフィロトの図案たち
--- ここまで ---

さて、一通りの理論編も終わり、やっと個々のカードの解説となりましたね。

この「セフィロトの図案たち」の章では、魔術カバラの理論に基づいて、「生命の木」の
「セフィロト」に関連付けされデザインされ図案化された「小アルカナ」たち、すなわち
各スートの1~10の「数札」と「コートカード」について説明しています。

ということで、この章も結構長いのですが、ボチボチと始めていきましょう。(^_^)/
4名無しさん@おーぷん :2014/11/14(金)06:58:11 ID:hSV1ics6Y
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 53) ---
1. KETHER: The Crown
1. ケテル:王冠

The Four Aces
「四枚のエースたち」
--- ここまで ---

新しい章の始まりの最初の節は、もちろん「ケテル」と「エース」から始まります。

この「ケテル」は、全ての始まりであるため、「Primordial Elements/原始的な元素たち」
として、全てのものを含むとされています。

そして、これとは対称的に、全ての終着点として「マルクト」があり、「Base Elements/
基底的な元素たち」として、こちらも全てのものを含むとされています。

つまり、この対称性のために、上位「マルクト」と下位「ケテル」は、連結可能であると
いうことなのですよね。

ただし、完成された「マルクト」とは違って、「ケテル」というのは未分化な状態であり、
将来性というか可能性というか、とにかくまだ曖昧としている部分が数多くあるわけです。
そして、そういった、何の種かもわからないような曖昧な存在を、しっかりと育てあげ、
たくさんの枝葉を出していくことで、大地に根ざした大きな「木」へと成長して、皆に
多くの恩恵を与えてくれる存在へと成長していくことになるわけですよね。

とにかく、人は誰でも、最初はちっぽけで、取るに足らない存在なわけです。
そして、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、
多くの麦を結ぶ。」(『新約聖書:マルコ福音書12:24』)にあるように、種である「ケテル」
自体は、宙に浮いた存在であるために、まだ大した価値はありません。
地に落ちて芽を出さないと、実は何も始まらないわけですからね。

ということで、のんびりマターリと始めていきましょう。(^_^)/
5名無しさん@おーぷん :2014/11/15(土)16:29:11 ID:TuD1QxGwO
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 53) ---
□ All that Is; the Breath of That which Is Not
□ 「存在」するもの全て、それは「非存在なるもの」の「息」

□ The Source of Energy from the Infinite Unmanifest
□ 無限の「非顕在なるもの」からの「精力の源」

□ The First "Motion"
□ 最初の「運動」

□ God the Creator
□ 「創造主」である「神」

□ That from Which we come, and to Which we shall return
□ 我々が生み出され、そして我々が戻るべき「ところ」

Symbols: Crown, Point, Swastica
「象徴たち」:「王冠」、「点」、「まんじ(卍)」

Color: White
「色」:「白」
--- ここまで ---

まず最初に、「ケテル」についての、5つのキーワードと、2つの属性が示されています。
そして、本では、この文章の右側に、「象徴たち」である「王冠」と「点」と「まんじ」
の図、そして「生命の木」の図における「ケテル」の位置が示されています。
ちなみに、「Swastica/まんじ」は、通常は「Swastika」と綴ります。
なお、ナチスの「Hakenkreuz/鉤十字」とは、十字の曲がりが逆ですので、ご注意ください。

さて、最初の文は、『旧約聖書:創世記』の、神の天地創造の「言葉」や、最初の人間に
命を吹き込む「息」についての記述です。

2番目の文は、「ケテル」を生み出した、「アイン(否定)」「アイン・ソフ(無限)」、
「アイン・ソフ・アウル(無限の光)」についての記述です。

3番目の文は、中世の天動説理論における「Primum Mobile/原動力(原動天)」という
概念であり、日本の魔術界では、「Primum Mobile/原初動」と訳されています。
この「原初動」と、大宇宙の動きを司る、見えざる根本原理&根本エネルギーであり、
下位の「恒星天=コクマー」、「土星=ビナー」、「木星=ケセド」、「火星=ゲブラー」、
「太陽=ティファレト」、「金星=ネツァク」、「水星=ホド」、「月=イェソド」、
そして「地球=マルクト」を動かしている神的な存在でもあります。

4番目と5番目の文は、まあ、説明しなくても、大体わかりますよね。

とりあえず、こういった「創造主」的なイメージが「ケテル」にあって、そして「エース」
のカードたちにも「神的」な属性があるということであり、すなわちこれは、「エース」は
最も「大アルカナ」に近い「小アルカナ」である、ということにもなるわけですよね。
6名無しさん@おーぷん :2014/11/16(日)19:11:02 ID:40LWTjW2I
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 53) ---
In Kether is the Divine White Brilliance, the scintillation and corruscation of
the Divine Glory ― that light which lighteth the universe ― that light which
surpasseth the glory of the Sun and beside which the light of mortals is but
darkness, and concerning which it is not fitting that we should speak more fully.
「ケテル」の中には、「神の栄光」 ― 宇宙を輝かせる、その光 ― の煌めきと輝きの
「神の白い光輝」があり、その光は、太陽の栄光を超え、そして、人工的な光に比べれば、
それは暗闇にすぎず、またそれに関して我々がより十分に語れるような適切なものは無い。

And the sphere of its operation is called Rashith ha-Gilgalim ― the beginning of
whirling, the Primum Mobile or First Mover, which bestoweth the gift of life in
all things and filleth the whole Universe.
そして、その作用する天球は、「ラシス ハ・ガルガリム」 ― 渦巻きの始まり、「原初動」、
もしくは「原動力」であり、万物の中に生命の賜物を授け、全ての「宇宙」を満たすもの ―
と呼ばれる。
--- ここまで ---

キーワードの次には、本書においてはイタリック体による引用を表す文章が続きます。
ここは『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fifth Knowledge Lecture/第五
知識講義」の「CONCERNING THE TREE OF LIFE/≪生命の木≫に関して」からの引用です。
この引用文は、全部で4つの文がありますが、ちと長いので2つに分割します。

さて、最初の文は、なんかちょっと仰々しい文章ですが、「ケテル」という、人間には到底
理解できない、語ろうにも語れないようなものを語ろうとすると、こういうような表現になる
ということではないかと思います。
つまりは、ビッグバンのエネルギーと、太陽のエネルギーと、人間が作り出すエネルギー
とは、全く比較対象にもならないレベルの違いがあるということです。

2番目の文の、「Rashith ha-Gilgalim/ラシス ハ・ガルガリム」とは、前述の天動説理論
における天球の「Primum Mobile/原動力(原動天、原初動)」を司るユダヤ教の天使名に
なります。
つまり、この天使自体は、「ケテル」の天使ではなく、「原初動」の天使なのですが、
「ケテル」が「原初動」に関連付けされたために、結果的に「ケテル」と関連付けられて
いるということになります。
要するに、「原初動」の力を使いたいのであれば、「ケテル」の「神名・大天使名・天使名」
ではなく、「天球」を司る「Rashith ha-Gilgalim/ラシス ハ・ガルガリム」の名を使う
べきであるということなのですよね。

こういう用途毎の使い分けって、面倒臭いと思うんですけど、なぜかそういう「お約束」に
なっているということなのです。

ちなみに、「Rashith ha-Gilgalim/ラシス ハ・ガルガリム」の意味である「the beginning
of whirling/渦巻きの始まり」というのは、天動説理論により、惑星が公転円運動を
しながら周転円を回るという、くるくると局所的に渦を巻くような不規則な動きをしている
イメージから来ているようです。
7名無しさん@おーぷん :2014/11/17(月)07:00:20 ID:IIit6LTTk
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 53) ---
And Eheieh is the name of the Divine Essence in Kether; and its Archangel is the
Prince of Countenances ― Metatron, he who bringeth forth others before the face
of God.
そして、「エヘイエー」は「ケテル」における「神の本質」の名前である。そしてその
「大天使」は、「顔貌の王子」 ― メタトロン、彼は、「神」の顔の前に他のものを生み
出す者 ― である。

And the Name of its Order of Angels is called Chaioth ha-Qadesh, the Holy Living
Creatures which are also called the Order of Seraphim. (*63)
そして、「天使たちのその階級の名前」は、「カイオス ハ・カデシュ」と呼ばれ、
「聖なる生きる創造物」、そしてまた、「熾天使の階級」とも呼ばれる。
--- ここまで ---

ちなみに、(*63)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
63. This, and all comments on the Sephiroth printed in italics preceding the text
in this chapter are from the Golden Dawn "Knowledge Lectures," Regardie, "Concerning
the Tree of Life," The Golden Dawn, v. I, 191-98.
63. これ、そしてこの章の本文に先行するイタリック体で印刷された「セフィロト」に
関する全ての論評は、ゴールデン・ドーンの「(第五)知識講義」、リガルディー著、
「生命の木に関して」の節、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第1巻、
191-198ページ、からである。
--- ここまで ---
とあります。

さて、引用の3番目の文は、「神」と「大天使」の配属です。
この「AHIH」の神名は、『旧約聖書:出エジプト記3:14』に出てくる、有名な「神の自称」
であり、「私は在る」という意味の言葉です。
そして「大天使」ですが、ここの「Metatron/メタトロン」は、「The Golden Dawn」の
原文では「Metatron or Metraton/メタトロンもしくはメトラトン」となっていることに
注意です。
ちなみに、この「メタトロン」という大天使名は、『旧約聖書』には表向きには出てきて
いませんが、「隠れた真のラスボス」として、カバラにおいては最高位とされています。
そして、顔を見ることができない「神」の代わりに、我々人間に対して、「神の顔」すなわち
「神の隠された知恵」を、我々に分け与えてくれる存在であり、それゆえカバラにおいては、
最高位とされているわけです。

4番目の文は、「天使たち」という複数形であり、この「聖なる生きる創造物」は、
『旧約聖書:エゼキエル書』、もしくは『新約聖書:ヨハネの黙示録』に出てくる
「4つの生き物」となります。
ただし、「Seraphim/熾天使(してんし)」という名前を優先すると、『旧約聖書:
イザヤ書6:2』に出てくる、「6つの翼を持つ創造物たち」、となります。
ちなみに、ここでは、前者の解釈である「4つの生き物」とする方が良いかと思われます。
8名無しさん@おーぷん :2014/11/18(火)06:59:04 ID:x6feSBNJE
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
All of the Sephiroth must be approached intellectually before some intuition about
their natures begins to develop.
「セフィロト」の全ては、それらの性質たちに関する何らかの直観が発展し始める前に、
知性的に取り組まなければならない。
--- ここまで ---

新章の本文の最初の文は、「ご利用は計画的に」のニュアンスに近い、「セフィロト」の
勉強は「intellectually/知性的に」という感じの、ありがたいご忠告です。

つまり、あまりにも「カバラに対して知性的に取り組んでいる人々」が少ないのが現状で
あり、ほとんどの人は、「カバラ」というものを感情とか直観とか感覚的にしか捉えていな
くて、その結果、多くの人々が「カバラ」のことを誤解しまくっているということなのです。

ちなみに、日本において「カバラに対して知性的に取り組んでいる人々」が少ないという
現状は、あきらかに「知性的」でない人々によって「カバラ」が商業的に悪用されている
ということもあって、本当に「知性的」な人々は、「君子危うきに近寄らず」という感じで、
「カバラ」を敬遠しているというのもあるわけです。

つまり、「知性的な人々」を呼び戻すには、今まで世間に広まっていた「間違ったカバラ」
のイメージを払拭するような、「学問としてのカバラ」という本来の姿を紹介していかなけ
ればならないわけですよ。
そのためにも、今まで擦り込まれてきた、間違った「some intuition/何らかの直観」を
完全に捨て去って、新しく「知性的な取り組み」をしなければならないということです。

とはいえ、こういう「知性的な取り組み」というのは、商業ベースには、全く乗らない
わけで、ワタシがここでいくら頑張っても、おそらく出版されることは無いでしょうし、
というか、現状では、こういうものを出版するメリットなんて、全く無いわけですしね。

そもそも、「カバラ」を学ぶこと自体は、何の金銭的価値も生み出しません。
上位世界の「カバラ」理論を、我々の住む下位世界に適用できるだけの「知性」を持った
人々のみが、その価値を認めるのではないかと思われます。
要するに、ある程度、クリエィティブな仕事をしている人々に限られるわけで、日々の
暮らしに追われる多数派の人々にとっては、活用できる場面が、かなり限られてしまう
わけです。

それにしても、思ったよりも、このスレは過疎りすぎてますよね。

近頃の世相を見ると、日々の暮らしに追われる人々が増えて、しっかりとした「知性的な
取り組み」の出来る人々が減っているのかも知れないと思う、今日この頃なのでした。
9名無しさん@おーぷん :2014/11/19(水)06:41:36 ID:NzqACxKUG
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
One begins with a study of the symbols attached to each Sephira.
人は、各々の「セフィラ」に帰属される象徴たちについての勉強から始める。

Such symbols transcend language.
そのような象徴たちは、言語をも超越する。

Moreover, one symbol may suggest something about another symbol, thus creating a
general picture of the energy in question.
さらに、1つの象徴は別の象徴に関する何かを示唆し、このようにして、論点にある精力の
一般的な絵柄の創造を示唆するかもしれない。
--- ここまで ---

「生命の木」の理論を統一的に記述している、「symbol/象徴」言語体系の重要性と
複雑性と多様性については、今までにも何度も話題になっていますよね。
要するに、「読んだだけではわからない」し、「やってみてもわからない」し、
「死ぬまで考え続けるもの」だということですよ。

ちなみに、3番目の文章にある「general picture of the energy in question/論点に
ある精力の一般的な絵柄」というのは、言うまでもなく「タロット」のことですよね。
つまり、何度も言うように、「魔術カバラ系タロット」は、「生命の木」の理論を、
「生命の木」の象徴言語体系により、二次元の絵として描いた「創作物」というわけです。

要するに、美術品や芸術品のような鑑賞用途ではなく、あくまでも「勉強用」や「研究用」
のための、手引書とか解析ツールのようなものであって、学術的な実用品であるわけです。

もちろん、学術研究だけでなく、色々なものに応用することも可能ですが、どう考えても
間違った方向に使っている人も、それなりにいるわけですよ。
とはいえ、そういう人にツッコミ入れても、逆ギレされて開き直られるのがオチですし。

ということで、そういう人にはなりたくないので、この教科書に従って、「ケテル」という
最初の「セフィラ」に帰属される象徴たちについての勉強から始めたいと思います。
10名無しさん@おーぷん :2014/11/20(木)06:39:42 ID:GZlPumQdP
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
It is impossible to know Kether, as it is said that man cannot look upon the face
of God and live.
人は「神」の顔を見て生きることができない、と言われているように、「ケテル」を知る
ことは不可能である。
--- ここまで ---

この部分は、『旧約聖書:出エジプト記34:20』にある、「And he said, Thou canst not
see my face: for there shall no man see me, and live./神は言われた。あなたは、
わたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないから
である。」が元ネタとなっています。

これはつまり、「神の前面」は見ることは出来ないけれども、「神の背面」であれば、
人間にも見ることが可能であるということになります。

要するに、「神」というものは、本質的に「二面性」のあるもの、すなわち、「高次元」
のものと「低次元」のものを併せ持ち、その内部で「高次元」から「低次元」のものへと
「次元変換」を行っているということを意味しています。
つまり、『旧約聖書:出エジプト記3:14』の「わたしはある」と自称した神は、すでに
「低次元」化した「神の背面」の姿でしかなく、もう一つの「神の前面」の姿ではないと
いうことでもあるわけなんですよね。

「生命の木」においては、この「神」の次元変換機能は、「ケテル」が担当しています。
つまり、「4つの世界」の次元変換の受信側に「ケテル」が位置しており、上位世界の
「マルクト」から流出したエネルギーが、下位世界の「ケテル」の次元変換装置を通じて
「ケテル」から以下の「セフィロト」へと流下してくという構図になっていますよね。

いずれにしろ、理論上は、我々人間の住む世界においては、我々の世界にある「ケテル=
神」の背面までしか見ることは出来ないということになっているわけです。
じゃあ、「ケテル=神の前面」って何?と聞かれれば、それは上位世界の「マルクト」に
繋がる部分であり、隠されてしまって見えないものということになるわけなんですよね。

つまり、理論的に言うと、「ケテル」とは「特異点」と呼ばれる存在なわけです。
そして、「特異点」そのものを見ることは不可能ですので、我々に見えている、というか
思い描く球状の「ケテル」の「セフィラ」のイメージは、しょせん「背面の姿」、つまり
間接的に観測できる虚像でしかないということなんですよね。

え、よくわかんないですか?

まあ、よくわかんなくても、生きていくには何の問題もありませんので、心配しなくても
全然大丈夫です。
というか、ここまでの説明だけで「わかった!」と納得されてしまう方が怖いですし。

要するに、「ケテル」というものは、あまりにも最先端で前人未踏の領域であるために、
客観的に提示できるようなシロモノではなくて、しょせん各自の勝手な妄想イメージで
しかないわけですので、各自で時間をかけて、それぞれ自分なりのイメージを構築して
いくしかない、というわけなんですよね。
11名無しさん@おーぷん :2014/11/20(木)18:39:14 ID:aifAE6uzX
はじめまして。前スレから一気に拝読いたしました、
生命の木22のパスと大アルカナの関係を調べていて、
こちらに辿りつきました。
貴重な文献のご解説をありがとうございます。
引き続き読ませて頂きますね(^0^)/
12名無しさん@おーぷん :2014/11/21(金)06:51:07 ID:Fpcmn0Kek
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
Yet we can establish some principles about Kether through its symbols, such as the
Point.
それでも我々は、たとえば「点」というような、その象徴たちによって、「ケテル」に関する
いくつかの原理たちを確立することができる。

It may be said that Kether is the point, and that is true.
「ケテル」は点であると言えるかもしれないし、そしてそれは真である。

But the Point is not Kether, it is merely an idea, a focus of reference for our
thoughts about Kether.
しかし、「点」は「ケテル」ではなく、それは単なる考え方であり、「ケテル」に関する
我々の思考のための参考の焦点にすぎない。
--- ここまで ---

「ケテル」というものには、色々な特徴があり、それゆえ色々な「symbols/象徴たち」を、
「ケテル」に当てはめて考えることが可能です。

でも、それらの「象徴たち」というものは、しょせん一面的なものであり、それらを再構築
したところで、元の「ケテル」を再現することは不可能です。

これはすなわち、下界の我々から見上げると、「ケテル」があまりにも高い位置にあるため、
「ケテル」からの流下は一方的であって、我々の使う「象徴言語」ごときの登山や滝登りの
テクニックでは、決して登ることができないということでもあります。

まあ、無理にあがいて登らなくても、下流にある「コクマー」以下の「セフィロト」で、
充分にお腹いっぱいになるわけですので、欲張りすぎないというのも大事なことですよね。

さて、この「ケテル」が「点」として象徴化されることは、「true/真」であるという
ことについて、ちょっと考察してみましょう。

まず、我々の世界では、「点」とは「0次元」であると考えます。
んじゃ、「0次元」って何?となった人は、自分で考えてみてください。

次に、「点」とは、根源的な「ある」状態であると考えます。
つまり、「何もない=False/偽」とすれば、「点がある=True/真」という関係です。
これもよくわかんない人は、自分で考えてください。

さらに、「点」とは、「萌え」の原点であると考えます。
一次元の「すじ」や、二次元の「嫁」、そして大惨事へと、表現される次元が日々進化
していく中で、この究極的なたった一つの「点」のみで表現される究極の「萌え」こそが、
真の熟達者の到達点であり、我々が目指すべき真の伝道者となるための大事なポイントで
あるということなのですよ。(←達観)
13名無しさん@おーぷん :2014/11/21(金)06:52:59 ID:Fpcmn0Kek
>>11
どうもはじめまして(^_^)/

久しぶりの読者メッセージ、ありがとうございます。
まだまだ先は長いですので、のんびりダラダラとお付き合いくださいませ。
そして、たまにはツッコミとか入れてもらえると、有り難かったりします。(^_^;;

この本は、魔術やオカルト関連本の中では、割とマトモな人の書いた本ですので、
広く一般の人にも読んでもらいたいと思うのですが、なかなか翻訳されません。

ということで、あまりマトモではないワタシの翻訳と解説ではありますが、
まったりと楽しんで読んでもらえると幸いです。
14名無しさん@おーぷん :2014/11/22(土)08:16:52 ID:gOj5iJfHP
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
The interrelationship of symbols provides the best instruction, for each symbol
describes a specific aspect of a Sephira.
象徴たちの相互関係は、各々の象徴が「セフィラ」の特定の様相を記述するために、最良の
教授を提供する。

In Kether, these are the Crown, the Point and the Swastica.
「ケテル」においては、これらは「王冠」、「点」、そして「まんじ(卍)」である。

This latter is one of the oldest symbols of the Ultimate Godhead, unfortunately
attached to the positive evil of Nazism in an age past.
この後者は、「根本的な神格」の最も古い象徴の一つではあるが、不幸なことに、過去の
時代における「ナチズム」の明確な悪事に結び付けられた。
--- ここまで ---

基本的に、一つの「セフィラ」に対して、数多くの「象徴たち」が存在しています。
つまり、非言語的で非実在的な形而上の存在である各々の「セフィラ」は、その見方に
よって、色々なものに例えることが出来るということです。
そして、我々は、その「例え」である数々の「象徴たち」から、元の「セフィラ」の姿を
妄想していくというわけです。
つまり、一つ一つの「象徴」を詳しく見ていくだけでは、「木を見て森を見ず」という
ことになるよ、ということを言いたいわけですよね。

とはいえ、数多くの様相の「象徴」を無節操に取り入れているとキリがありませんので、
この本においては、「王冠」と「点」と「まんじ(卍)」をメインに考察してみましょう、
ということですよね。

さて、ここで話題に出ている「まんじ(卍)」ですが、現在の西欧世界では避けて通る
ことのできない歴史的なタブーが存在しているのは、皆さんご存じの通りです。
つまり、「まんじ(卍)」について公式に言及する場合には、必ず「ある種の断り書き」
が必要ということであり、それが3番目の文章となっているわけです。

ちなみに、ゴールデン・ドーンの時代は、第一次世界大戦以前であり、「ナチズム」の
姿はまだ無く、「まんじ(卍)」は本来の「幸運と成功の象徴」として、世界中の至る
ところで、自由に使用されていました。
もちろん、ユダヤ・キリスト教においても、重要な象徴であり、それゆえ「ケテル」を
表す象徴の一つにもなっているわけですよね。

でも、今では、その「幸運と成功の象徴」は、「unfortunately/不幸なことに」、一部の
人々にとっては、激しい反発と嫌悪の対象となっているわけです。
さらに不幸なことに、加害者である「ハーケンクロイツ(鉤十字)」だけでなく、被害者
サイドの「ダビデの星」も、同時に自粛対象となってしまっているのが現状です。
何か大きな事件があるたびに、こういう自粛対象が広がっていくのは、魔女狩りや言葉狩り
と同じ性質のものですので、あまり好ましいことではないのですが、どうしても政治的な
問題も絡むために、そういうことに触れるのも、タブーということになるわけでした。

つまり、いわゆる「表現の自由」というものには、オトナの事情により、実際には色々な
制限があるということですよね。←ワタシもオトナの事情で色々と自粛しています(?)
15名無しさん@おーぷん :2014/11/23(日)09:57:42 ID:ChL
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
The first symbol of Kether is the Crown.
「ケテル」の最初の象徴は、「王冠」である。

Our anthropomorphic perspective may lead us to the idea that the directing force
is within our heads, but the Qabalah places that force above.
我々の擬人化的な見方は、指図する力が我々の頭の内にあるという考え方に我々を導く
かもしれないが、「カバラ」は、その力をそれより上に配置する。

The distinction is a significant one, indicating that the Holy Guiding Spirit is
a crowning glory to which we may aspire, and an energy to which the mental
processes of our brain are subordinate.
その区別は、「神聖なる指導の聖霊」が、我々が熱望するであろう最高の栄光であり、
そして我々の脳の精神的な過程が従属する精力であることを示す、重要なものである。
--- ここまで ---

ということで、「王冠」、「点」、「まんじ(卍)」のうちで、最初の「王冠」について、
詳しく考えてみることにしましょう。

ちなみに、「Crown/王冠」というものは、日本では文字通り、物質的世界の最高地位に
ある王様の頭に載せる、豪華絢爛なる「冠」のイメージがあります。
もちろん、この「ケテル」を象徴する「王冠」にも、そのようなイメージはあるわけです
が、単なる「頭のてっぺんに載せる冠」とか「頭頂部」という、場所を表すような意味も
あります。
要するに、「トップ・オブ・ザ・ワールド」ということですかね。

とはいえ、「ケテル」は、そういった「この世のトップ」ではなくて、「above/より上に」
あるという、「この世のトップを超えた位置にあるもの」ということになります。
つまり、我々の手に届かない位置にある「絶対的な存在」であって、我々を一方的に見下ろす
/我々からは一方的に見上げるという、滝から流れ落ちる水のように、一方通行の関係に
なるということですよね。

まあ、宗教としては、そういう関係でも良いわけですが、学問や娯楽の分野においては、
それだけでは面白くないわけですので、色々と妄想ネタを作り上げて、「ケテル」という
ラスボス攻略の手順を、色々と立てていく必要が出てくるということになるわけです。

絶対に手が届かないとか、絶対に見えないとか言われると、余計に興味を持って無駄に
頑張るのが、人間の性(さが)というものですからね。(苦笑)
16名無しさん@おーぷん :2014/11/24(月)07:00:16 ID:jSs
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
The Crown, in the microcosm, is our Essential Spirit.
「王冠」は、小宇宙においては、我々の「本質的な聖霊」である。

In the macrocosm it rests above the head of Adam Kadmon, the Archetypal Man of the
Zohar who symbolizes the entire manifest Universe.
大宇宙においては、それは、顕在化した「宇宙」全体を象徴する「ゾーハル」の「原型的な
人間」である「アダム・カドモン」の頭の上に静止する。
--- ここまで ---

まず、「ケテル」の「王冠」と我々の人体である「microcosm/小宇宙」の関係性です。

この「王冠」は、我々の頭のさらに上にある冠状のものとして象徴されており、すなわち
これは「天使の輪」と同じようなイメージになるわけです。

ただし、「天使の輪」だと、人間は、この「天使の輪」により生命を与えられ、神の意志に
従って動く操り人形、つまり神のしもべとして日々を暮らしているという感じにもなります。
じゃあ、人の自由意志をどこに見い出すか、ということを考えないといけないわけで、
人は色々と悩むことになるわけですよ。

とりあえず難しい話は置いといて、次は「ケテル」の「王冠」と「macrocosm/大宇宙」の
関係ですが、こちらも似たような感じですよね。

要するに、我々の手に届かない、いわば絶対的な存在となっているわけです。

こういう「取り扱いできない」シロモノというのは、どうにも困りますよね。
つまり、我々の自由意志なんて、全く無関係に、我々に対して強制力を発動してくる、
全く逆らうことのできない「天の力」なわけです。
もちろん、そういうものを無視することは出来ませんので、我々はその力の重要性を、
きちんと把握し、ある程度まで管理しておくことが必要となるわけです。

つまり、「ケテル」の力は絶対的なものではありますが、神聖不可侵の「ケテル」自身
ではない流出物の「ケテルの力」であれば、きちんと対処することにより、ある程度まで
利用することが可能なものですので、その絶対的パワーを利用する方法を、人間は色々と
考えていくことが必要であるということなのでした。

とはいえ、「ケテルの力」って、どっちに転んでくるか、よくわからない性質のものです
ので、普通の人にとっては、その制御は、なかなか難しいことも確かなのでした。
もう少し下流になって、流れも穏やかになり、性質もはっきりとしてくれば、もう少し
扱いやすくはなりますけどね。
17名無しさん@おーぷん :2014/11/25(火)07:08:02 ID:UfK
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
Kether is the Crown above Creation, but it is also that from which all creation
springs.
「ケテル」は「創造物」の上の「王冠」であるだけではなく、それはまた、すべての
創造物がそこから湧き出すということである。

For this reason, another of its prime symbols is the Point.
この理由で、その最も重要な象徴たちのもう一つは、「点」である。
--- ここまで ---

この「Creation/創造物」とは、『旧約聖書:創世記』において、神の力で創造された
「macrocosm/大宇宙」、および「microcosm/小宇宙=人間」のことになります。

つまりは、「ケテル」は創造主としての支配力を象徴する「王冠」のイメージだけでは
なく、全てのものをゼロから産み出す根源的なエネルギーを持つわけです。

要するに、「生みの親」であり「育ての親」であり、それゆえ「神の子」である我々が
絶対に超えられないものでもあるわけなのですよね。
でも、そういう「絶対的な支配力を持つ親」に対して、理由も無く反抗したくなるのが、
「厨二病」ってヤツですので、ワタシも死ぬまで反抗し続けようと思うのでした。

それはともかく、この「天地創造」のイメージとして、一次元でありながら二次元的な
広がりを持つ「輪」である「王冠」と、完全無欠の0次元である「点」とを比べた場合、
やっぱり、より根源的な「点」の方が、イメージに近いわけです。

人間に例えれば、「受胎告知」の瞬間、つまり「受精」した瞬間の方が、「母親の胎内」
から「外界」に出てきた瞬間、つまり「出生」の瞬間よりも、より根源的な生命の誕生と
いうイベントに近いということでもあるわけです。

とはいえ、前にも述べた通り、この「点」というものは、我々には見えない存在です。
我々に見えるものは、「ケテル」の「点」が広がりを持ち、「王冠」や「まんじ(卍)」
となった後の話なのですよね。
まあ、人間の「受精」の瞬間は、顕微鏡により観察可能とはなりましたが、宇宙誕生の
瞬間は、今でも観測不可能、というか理論的にも解明されていない問題なのでした。

結局のところ、我々にとっては、「点」という概念は、いまいち使えないものであり、
「ケテル」が「点」であるかどうかは、さほど大きな問題ではないわけです。
それよりも先に、「王冠」や「まんじ(卍)」について、実用になるかどうかを、
しっかりと探っていくことが、今のところ大事であるということなんですよね。

そういう意味でも、「ケテル=王冠」というイメージは、我々のような下々の人間に
とっては、それなりに良く出来ているなぁ、と思っているのでした。
18名無しさん@おーぷん :2014/11/26(水)07:00:23 ID:fjS
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
The Point is complete unto itself, without dimensions or external definition.
「点」は、次元あるいは外部の定義なしに、それ自身に対して完全である。

It represents total Unity.
それは、完全な「統一」を表わす。

It is the seed from which the Universe grows.
それは、「宇宙」がそこから成長する種である。
--- ここまで ---

ということで、あらためて「天地創造」という観点から、「ケテル」が「点」であること
について、考察してみましょう。

前述したように、「点」という0次元の概念は、「ある」もしくは「ない」という、
Boolean型、すなわち「真(True)/偽(False)」の二値のみで成立しています。
つまり、Integer型やFloat型などの、数値的なアナログ属性を一切持たない、純粋かつ
究極の「神原理」となる「デジタル原理」であるということです。
そして、このBoolean型で記述される神デジタル論理は、最も単純な形式でありながらも、
実は究極かつ完璧な記述力があるということは、現代のデジタルコンピューティングの
発達を見れば、何となく理解できるかと思います。

そう、この「ケテル」にある「点」こそが、この宇宙を創造した「全ての元」であり、
そしてこの我々の宇宙自体を完全に記述可能な、究極の「大統一理論」であるわけです。

とはいえ、あまりにも究極すぎて、我々のような下々の人間にとっては、全く理解不能な
シロモノであることも確かですので、そういう意味では何度も言うように、我々には
「使えないもの」というのも確かなのですよね。

というわけで、そういう宇宙創造における究極の「大統一理論」はさておいて、もう少し
地上界に近い部分で話をしましょう。
そう、理論上の「点」の話ではなくて、いわゆる「種」の話です。

「種」は、我々の目で見ると「点」のようにも見えますが、実はこの中には、次世代の
生命体を構成するために必要な「全ての要素」が組み込まれています。
とはいえ、この「地上世界」の種が発芽し成長するためには、自分自身のエネルギーだけ
では無理であり、「火」「水」「空気」「地」という「四大元素」の外部パワーが必要と
なるわけです。
そして、この「種」は、これらの「四大元素」の外部パワーの恩恵を受ける上位世界の
「マルクト」に根ざし、そして下位世界の「ケテル」として発芽して顕在化し、大きく
枝葉を伸ばして成長していくという感じになるわけですよね。

ちなみに、最下層である我々の宇宙は、基本的には「閉じた系」となっていますので、
上位世界の「マルクト」と下位世界の「ケテル」が時間軸上でワープして連結したような、
擬似的に閉じたループ構造となっています。
つまり、親が子を産み、その子がまた親となって子を産み、こうして次世代へと連綿と
続いていくという、そういう輪廻転生の世界となっているわけなのでした。
19名無しさん@おーぷん :2014/11/27(木)06:54:59 ID:Sgl
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
Ultimately, all is Kether, and each of the Sephiroth emanating successively from
Kether are crystallizations of the latent aspects of the One.
究極的には、全てのものは「ケテル」であり、そして「ケテル」から連続的に発散する
「セフィロト」の各々は、「唯一」の潜在した様相たちの結晶化したものたちである。

The journey of manifestation begins and ends with Kether.
顕在化の旅は、「ケテル」で始まり、そして終了する。

It is the Kether of Atziluth to which we aspire, and into which the manifest
Universe will eventually withdraw.
それは、我々がそれを熱望し、そして顕在化した「宇宙」が、いずれはそこへと引き下がる、
「アツィルト」の「ケテル」である。
--- ここまで ---

結局のところ、もう全部「ケテル」一人でいいんじゃないかな、という感じなのです。

まあ確かに、
「ケテル」>>>>(超えられない壁)>>>>他の9つの「セフィロト」
であり、そもそも「ケテル」無しでは、他の「セフィロト」は存在しないわけですので、
そういった見方も出来るわけですが、何度も言うように、我々にとっては「ケテル」は
雲の上の存在であって、まるっきり使えないヤツですので、「これに全部入ってるから、
後は自分で何とかして」と「ケテル」だけを渡されても、凡人である我々にとっては、
どうしようもないわけなのですよ。

つまり、「the latent aspects of the One/「唯一」の潜在した様相たち」は、我々には
見えないし触れないし聞こえない存在であって、それらが顕在化して「crystallizations
/結晶化したものたち」となることによって初めて、我々のような下界の人間にも認識可能
であり利用可能となるわけです。

そして、我々には手の届かない「超越上位の存在」である、「唯一無二」の「ケテル」と
いう「全宇宙の大統一理論」への到達は、全ての研究者たちが「aspire/熱望する」対象
でもあるということなのですよね。

なお、最後の「顕在化した「宇宙」が、いずれはそこへと引き下がる」という文面は、
おそらく「ビッグバン」により「ある一点」から誕生して膨張して出来た我々の宇宙が、
将来的には収縮して「ビッグクランチ」により「ある一点」になって消滅するという、
前世紀に書かれた宇宙論のシナリオに基づいていると思われますが、現在の研究では、
我々の宇宙は永遠に膨張し続けるという説が有力となっています。

とはいえ、この宇宙の始まりであり終わりでもある「ケテル」については、詳しいことは、
まだ何も分かっていないのです。
そういう意味でも、占いにおける「ケテル/エース」は、「実際にフタを開けてみないと、
詳しいことはわからない」という、非常にやっかいな存在でもあるわけですよね。
20名無しさん@おーぷん :2014/11/28(金)06:53:59 ID:svo
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
We begin the process of accelerating our own spiritual development, or return,
by the invocation of our own Kether.
我々は、我々自身の「ケテル」の発動により、我々自身の霊的な発達を加速する過程を
始めるか、もしくは戻る。
--- ここまで ---

一般論的な「宇宙」や「大宇宙」の話はこのくらいにして、ここからは、「小宇宙」に
ついての各論に入っていきます。

つまり上記の文は、「The journey of manifestation begins and ends with Kether./
顕在化の旅は、ケテルで始まり、そして終了する。」を、「小宇宙」的に解釈したものと
なります。

そして、前述の文を参考にするならば、
 「アツィルト」の「ケテル」→我々自身の「ケテル」→我々自身の霊(→我々自身の肉体)
という、絶対的な支配関係が成立することになるわけです。

とはいえ、我々は、この世に産まれて「accelerating our own spiritual development/
我々自身の霊的な発達を加速」しているかというと、決してそうでもないわけです。
ということは、すなわち我々自身の「ケテル」は、「アツィルト」の「ケテル」の劣化
コピーということではなく、「アツィルト」の「親ケテル」である「「One/唯一」の潜在
した様相たちの結晶たち」の低次元の「子ケテル」であって、かなり個性的なものとなって
いるので、「親ケテル」と同じ道を、必ずしも歩まなくてもいいということになるわけです。

要するに、我々は、全知全能なる神の「単一的なクローン人間」ではなくて、神の持つ
全知全能のスペックを細分化して色々な特徴と色々な個性を持たせた「二次創作」の
「戦隊物」のようなものであって、ヒーローやヒロインやモブやザコや敵やラスボスという
キャラを産み出す、それぞれの「ケテル」が存在しているということなんですよね。

さて、ここで問題となるのは、そのような色々な種類の「ケテル」が存在するという理論は、
今まで述べてきた「ケテル」の単一理論と矛盾しているということです。

その矛盾を解消するには、「不確定性原理」による「仮想ケテル」を必要とするわけです。
これはすなわち、我々人間の個々の肉体寿命が、大宇宙的タイムスケールから見ると、
「ごく一瞬」であるということからも、ある程度まで説明できます。

こうして、「単一」でありながらも「多様」であり、「単一」でありながらも「数多く」
の、我々自身の「ケテル」が、この我々の世界に存在し、我々自身の「霊」を支配して
いるということになるわけです。

さて、ここでもう一つの問題となる、我々自身の「ケテル」と、我々自身の「霊」との
関係性ですが、実際のところは、ワタシにはよくわかりません。
なぜなら、下界にあるワタシの意識にとっては、上位にある「ケテル」と「霊」を区別
して認識することは、根本的に無理があるからです。
もちろん、色々な人が色々な説をデッチ上げてはいますが、そういう色々な人の世界って、
ワタシにはよくわからないのでした。
21名無しさん@おーぷん :2014/11/29(土)08:42:30 ID:pxC
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
This Kether unconsciously guides and directs us.
この「ケテル」は、無意識に我々を案内し指図する。

The very act of calling attention to the "Light above our heads" brings about a
subtle activity on the Inner Planes.
「我々の頭上の光」に注意を向けるという、まさにその行為は、「内的な面たち」の、
かすかな活動を引き起こす。

It is a conscious affirmation of the Personality in manifestation of its mutability,
and that the source of all true life is above.
それは、その無常の顕現における「人格」の、そして全ての真の生命の源は、(天)上に
あることの、意識的な肯定である。
--- ここまで ---

「This Kether/このケテル」とは、前述の「our own Kether/我々自身のケテル」です。
つまり、「ケテル」が「宇宙」の「唯一無二」の存在であり、そして我々「小宇宙」の
「唯一無二」の存在でもあることであり、結局のところ、この世の人間の数だけ「ケテル」
がこの世に存在しているということでもあります。

とはいえ、この我々自身の「ケテル」を意識できる人って、実はほとんどいないわけです。
もちろん、「意識できる」と公言している人は、ほぼ100%がニセモノであり、決して参考に
してはならない証言です。

じゃあ、「意識できない」のであれば、一体どうすればいいのかというと、その答えは
「意識して意識する」ということなのです。

え、おまいは「出来ない」と分かっていることを「する」のか?と聞かれるのであれば、
ワタシは「そうだ」と答えます。

「出来ることしかやらない人」には、「ケテル」は見えません。
でも、「出来なくてもやる人」にも、「ケテル」は見えません。
しょせん、「ケテル」というものは、たとえそれが「我々自身のケテル」であっても、
間接的にしか、そしてかすかに感じることしか出来ない存在であって、他人に対して
「ケテルとはこんなもの」とは語れないようなものなのです。

つまり、絶対に見えないからこそ、絶対に真の姿が語れないからこそ、その絶対に見えない
ものを見えるように、語れないものを語れるように、日々鍛錬し努力をするということが、
無次元に住まうスレの紳士たちというド変態が真のド変態であることの証(あかし)なのです。

え、ワタシの言ってることが、いまいち理解できないですか?
まあ、こういうド変態な行為は、理解できないのが普通ですし、何も心配いりませんので、
このスレは見なかったことにして、このままお帰りくださいませ。

ということで、ここからは「私は(ド変態で)ある」ということを「意識」している人専用
の隔離スレということにしますので、くれぐれも取り扱いには、ご注意ください。(大嘘)
22名無しさん@おーぷん :2014/11/30(日)08:15:00 ID:Z4z
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
As the very universe begins and ends with Kether, so all work of spiritual development,
whether meditative or ritualistic, must begin with an invocation of the Highest.
まさに宇宙が「ケテル」から始まり、そして終わるように、霊的な発達の全ての作業は、
瞑想的か儀式的かにかかわらず、「最も高いもの」の祈願から始めなければならない。

The God name in Kether is Eheieh, meaning I WILL BE, a name which has been likened
in its sound and meaning to breath.
「ケテル」における「神」名は、「わたしはある」を意味する「エヘイエ」であり、
その名前は、その音と意味を(神の)息吹に例えられ続けている。
--- ここまで ---

ここで、「work of spiritual development/霊的な発達の作業」とか「invocation of
the Highest/「最も高いもの」の祈願(召喚)」、そして「Eheieh/エヘイエ」という
文面から、ゴールデン・ドーンの「五芒星小儀式」による召喚/追儺をイメージした人も
いるかと思います。

そういう人は、改めて『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「First Knowledge
Lecture/第一講義文書」を見て、最初の「work of spiritual development/霊的な発達
の作業」が何であったかを、調べてみてください。

そう、魔術において最初に行わなければならない作業は、「Meditation No.1/第一瞑想」
と呼ばれている、「ケテル」についての瞑想作業なのです。
そして、その作業の中で用いられる「FourFold Breath/四つの呼吸」そして「counting 4
/四つ数える」ことが、「エヘイエ」という神名そのもの、ということなのですよね。

え、何で「聖四文字」の「YHVH」ではなくて、「AHVH」なのか、ですって?

このあたりのソースは、マサース氏の『The Kabbalah Unveiled/ヴェールを脱いだカバラ』
の中に、主に序説第62節あたりから詳しく書かれていますので、ヒマな人は読んでみて
ください。

さて、魔法系で「わたしはある」の瞑想を始めると、「わたしはなる」「はっぴーな~る」
「はっぴーカッピ~」というネタへと迷走してしまい、結果的に白い「魔法少女契約装置」
を思い出してしまって、何となくイヤな気分に浸ってしまうワタシなのですが、とにもかく
にも、この「Eheieh/エヘイエ」の瞑想により「魔法少女」になる、いやいや「魔術師」の
気分に浸りきるということは、非常に大事なことになります。

つまり、「呪文」や「多次元象徴」などの一般ウケするネタを一切使わずに、いきなり
上級者向けの、無次元の「点」のイメージの瞑想と四拍呼吸だけの「ケテル」についての
瞑想作業が、全ての魔術作業の開始であり、終了であるということなのですよね。

まあ、初心者に最初に教えられる単純な作業ではありますが、上級者向けの作業でも
ありますので、実は奥が深いというか、終わりのない究極奥義の作業でもあるわけで、
「ケテル」に到達しようとする人間は、悟りの境地には到達できずに、死ぬまで瞑想、
いやいや迷走し続けることになるわけです。
ということで、ワタシも、しっかりと体力を付けて、死ぬまで迷走し続けてみようと思う
ワケなのでした。(何か違う?)
23名無しさん@おーぷん :2014/12/01(月)06:49:25 ID:SaX
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
To the Point is attributed the number 1 which, mathematically, has the potential
for all other numbers, by simple addition.
「点」には、数学上、単純な加算によって、他の全ての数の可能性を持つ、1の数字が帰属
される。

If we take the number 1 and place another number 1 beside it, we have 2.
もし、我々が1の数を取り、そしてもう一つの1の数をその横に置けば、我々は2を持つ。

If we take a third 1, we have three ones, i.e., 3.
もし我々が3番めの1を取れば、我々は3つの1たち、すなわち、3を持つ。
--- ここまで ---

「ケテル」と、それを象徴する「点」には、数字の「1」が割り当てられています。

これは、今まで述べてきたように、「0=ない/False」に対して、「1=ある/True」と
いう、最も単純な二値論理型(Boolean)で定義されるものです。
そして、この二値論理型をベースとして、多ビットの整数型に定義を拡張することが可能
であり、さらに多くの型の表現が可能となっていくということですよね。

ちなみに、そのあたりのカバラ的な理由については、マサース氏の『The Kabbalah Unveiled
/ヴェールを脱いだカバラ』の中に、主に序説第42節あたりに詳しく書かれていますので、
ヒマな人は読んでみてください。

でもまあ、わざわざ神秘的に捉えなくても、数学的な思考の出来る人であれば、こういう
根本的な「数」の概念というのは、充分に神秘的でオカルティックなものなんですよね。
はっきり言って、オカルトの世界の理論の方が、理解しやすい感じでもあります。

ワタシのような一般人から見れば、宇宙創世を解明する現代数学の最先端の理論って、
マジでわけわかんない別次元の世界になってますからねぇ。(遠い目)
24名無しさん@おーぷん :2014/12/02(火)07:00:29 ID:ziI
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 54) ---
This idea may appear so obvious as to be inane, until we begin to meditate on the
concept of simple numbers and simple geometry.
この考えは、我々が純然な数たちと純然な幾何学の概念について熟考し始めるまでは、
非常に明白であるので無意味であるように見えるかもしれない。

What do we know, for example, that could be considered pure one, which is totally
indivisible?
例えば、全く分割不可能なものである「純粋なる一つ」と考えられるものの何を、我々は
知っているのか。
--- ここまで ---

なんかいきなり、難しくなりそうな話になってきましたよね。

ちなみに、前述の 1+1=2 とか 1+1+1=3 というものは、数学上の「加法」の理論体系の
中で、根幹を成している重要な部分になります。
とはいえ、この場でそういう難解な数学ネタの話をすることは、ほとんどの人にとっては
「inane/無意味な」ことだと思いますし、理解する必要も無いことだと思います。

ただし、「カバラ」の理論の根幹にあるものは、こういった「the concept of simple
numbers and simple geometry/純然な数たちと純然な幾何学の概念」に近いものであり、
我々の地上にある物理的な概念から見れば、ほとんど無意味であって、わざわざ深く考える
必要の無いもののように見えるということくらいは、知っておいても損は無いです。

まあ、何が言いたいのかと言うと、「カバラ」というものは、数学や幾何学と同列にある、
宇宙原理を記述するシンプルかつ高度な理論体系であるということなのですよね。

とはいえ、実際のところ、そういった「カバラ」の真の姿というものは、ほとんどの人に
とっては「inane/無意味な」ことだったりするわけです。
つまり、科学技術が進歩し、今までオカルト理論の領域であったものの多くが、最新の
科学理論により置き換え可能となってきています。
これにより、我々の世界においては、趣味の世界はともかくとして、実生活においては、
オカルトの知識は、ほとんど不要となっています。
つまり、リアルに「大宇宙」や「小宇宙」の研究をしたい人にとっても、「カバラ」の
理論は、実質的には何の役にも立たないということなのです。

じゃあ、何でおまいは役に立たない「カバラ」を勉強しているのか、と聞かれれば、
今のところは「趣味です」という答えになるわけです。
そもそも、実質的=リアル世界に役に立たなくても、仮想的=バーチャル世界で役に立つ
のであれば、それはそれで質量を持ち観測可能な素粒子となる可能性もありますからね。

要するに、「人はパンツのみにて生きる」のではなく「神の口から出る一つ一つの言葉に
よる」のであれば、そういう「見えざる仮想粒子」を何としても見てみたいと思うのは、
変質者、いやいや研究者としての性(さが)というものではないかと思うのでした。

以上、無意味な話で、まとめてみました。(←イナネ~な話w)
25名無しさん@おーぷん :2014/12/03(水)06:50:11 ID:Qfw
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
Numbers are the most pure form of symbol and are of great importance in the Qabalistic
scheme of things.
数たちは、象徴の最も純粋な形態であり、事物たちの「カバラ主義的」な体系においては、
非常に重要である。

No student who has pursued Ouspensky's Tertium Organum(*64) through its profound
discussion of dimensions would dispute that.
次元たちのその深遠な議論を通じてウスペンスキー氏の『ターシャム・オルガヌム(第三の
思考規範)』(*64)を探究したことのある研究者で、それに異議を唱える者はいないであろう。
--- ここまで ---

ちなみに、(*64)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
64. P.D. Ouspensky, Tertium Organum, New York 1927.
64. P.D. ウスペンスキー著、『ターシャム・オルガヌム(第三の思考規範)』、ニューヨーク、
  1927年発行。
--- ここまで ---
とあります。

ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキー氏(Pyotr Demianovich Ouspenskii,
1878-1947)は、ロシアの数学者であり、そして神秘思想家でもあり、上の注記の本は、
1912年にロシア語で書かれたものの英訳版となっています。
2000年に邦訳もされていますが、ワタシは読んだことはありません。

さて、「数」という究極の象徴と、それを取り扱う「数学」という究極の抽象理論は、
ほぼ全ての学問体系において、古代から現代まで時代を問わず非常に重要な「基礎体系」
であって、欠くことのできない唯一無二のものです。

そして、この「数学」の発展により、あらゆる事物が数値化され、それをコンピュータに
叩き込むことで様々な事物の計算が可能となっており、宇宙創造やその進化、そして人間
のことについても、ある程度まで計算することが可能となりつつあります。

とはいえ、「数値化」するためには、そのための「モデル」が必要となります。
要するに、「カバラ」というものは、その「モデル」の一つということになるわけであり、
そういう意味では、「数」と「カバラ」は、同列に語ることはできないものです。

つまり、「数学」が普遍的なものであることは疑いようのないことですが、その「数学」の
理論を「カバラ」のような「オカルト系」に適用できるからといって、その「オカルト系
理論」が「数学」のような普遍性を持つかというと、それはまた別のことなのです。

まあ、ぶっちゃけ言うと、「カバラ」に限らず、古典的オカルト理論のほとんどは、この
手の厳密な「数値化」可能な数学モデルとして適用することは、ほぼ不可能なんですよね。
そして、ワタシ自身は、そういう古典的で曖昧な「オカルト系数学理論」というものには、
あまり興味を持っていないわけです。

そもそも、現代科学の分野での数学理論の方が、ワタシにとっては、はるかに「オカルト」
っぽいですからね。(要するに、難解すぎて全く理解できないという意味でw)
26名無しさん@おーぷん :2014/12/04(木)06:50:38 ID:Ojr
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
While Kether is symbolized by the Point and the number One, it is not static.
「ケテル」は「点」と数字の「1」により象徴されているが、それは静的ではない。

In Assiah (the material world) it is also the "First Swirlings" of manifestation.
アッシャー界(物質の世界)においては、それはまた顕在化の「最初の渦巻くものたち」
である。
--- ここまで ---

さて、ケテルを、数学的な「点」と「1」で象徴してはみたものの、これだけのネタでは、
あまりにも抽象的というか上級者すぎて、話が進まないのも確かです。
ということで、もう一つ下層のネタを付け加えて、さらなる妄想を進めていくことにします。

そのネタとは、リガルディー氏の『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Second
Knowledge Lecture/第二講義文書」にある「The Second Meditation/第二瞑想」の章に
記述されている「The Ten Houses, or Heavens, of Assiah, the Material World are;/
物質世界であるアッシャー界の10の家あるいは天は、以下の通り;」の箇所の、ケテルの
説明である「1. Primum Mobile, Rashith ha Gilgalim./1. 原初動、ラシス・ハ・ギルガリム
(最初の渦巻き)」の部分です。

つまり、アッシャー界においては、「ケテル」は「static/静的」ではなく「動的」で
あって、その動きは「最初の渦巻き」として象徴されている、ということですよね。

これは、他の上位世界の無次元の「ケテル」とは違って、アッシャー界においては、
「manifestation/顕現」する際には、それ自身が「動的」であるために、最初から複数の
次元を持って生まれてきているということを意味しています。
もちろん、現代科学理論(素粒子標準理論のスピンや超弦理論の振動など)においても、
「点」である素粒子にはこの「複数の次元を持つ」ことが必要とされています。
なぜなのか、と聞かれても、この世界がそうなっているから、としか答えようがありません。
もちろん、色々と妄想理論を展開することは可能ですが、まだまだ結論を出すには至って
いないのが現状です。

まあ、このあたりのカバラ的な視点の話に興味のある人は、ダイアン・フォーチュン氏の
「The Mystical Qabalah/神秘のカバラー」を読んでみるのもいいかと思います。

さて、こうして我々の住む世界に顕現してきた「ケテル」ですが、相変わらず、我々の
目では直接見ることのできない「Point/点」であり「One/1」でもあります。
そして、その動きである「最初の渦巻き」も、我々には見ることはできません。

結局のところ、我々にとって「ケテル」というものは、実質的には理論上のみの「存在」
であって、直接体験したり直接利用できるようなシロモノではありません。
つまり、間接的に体験したり間接的に利用することであれば、下界に住む我々でも可能で
あるということになるわけです。

じゃあ、どうすればいいの、と聞かれれば、とりあえずは「理論上の存在」であるので、
その「理論」を勉強していくしかないよね、ということであり、まだまだ先は果てしなく
長いから、マターリと頑張っていくしかないよね、ということになるわけでした。←努力目標w
27名無しさん@おーぷん :2014/12/05(金)06:59:42 ID:XgD
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
So a third descriptive idea is attached.
したがって、3番目の記述的な考え方が帰属される。

That is the Swastica representing vital, swirling motion around the point.
それは、「点」の周りで、生命の源となり渦巻く運動を表わす「まんじ(卍)」である。

It is self-contained, but in motion.
それは、運動しているという点を除けば、自己完結している。
--- ここまで ---

というわけで、最後の「アッシャー界」において、最初に紹介していた3つの「ケテル」の
「象徴たち」の3番目である「まんじ(卍)」の出番となります。

そして、このアッシャー界において、初めて「ケテル」は「静的」ではなく「動的」なもの、
すなわち定常的な変化をもたらす「最初の渦巻き」として象徴されている、ということです
よね。
じゃあ、それより上の世界は何なんだ、と言われれば、それらは「仮想動的」、すなわち
実体の無い仮想粒子の生成と消滅を繰り返す「虚数時空」のようなものであって、全体と
して見れば、実体を伴わない「静的」な世界と言うことができると思います。

さて、「ケテル」は、この「まんじ(卍)」属性を持つことで、今までにない変化をする
ことが可能になります。
つまり、「点」は閉じた空間を形成しましたが、「まんじ(卍)」は、開いた空間を形成し、
それを自分自身の「動き」により、周囲の空間にその動きの場のエネルギーを放射すること
で、空間を拡張して、その中に生成される物質を維持することが可能になるわけです。

ちょっと言い方を変えれば、我々のこの世界は、上位の神世界の○○の(卍)に繋がる
「ケテル」の(卍)から放たれた強烈な○○○の世界の中で生まれたようなものであり、
我々はその○○○の中に生まれた○○○○○のようなものであり、そして日々その
○○○のおかげで生きているという考え方も出来るということですよね。
(お食事中の方に配慮して、一部を伏せ字にしております。)

とにもかくにも、最下層であるアッシャー界というのは、そういう意味でも、色々と面白い
ネタがあるわけで、そういうミソクソな世界というものは、ワタシは決して嫌いではない
わけですよ。
というか、清廉潔白なものって、いまいち胡散臭いですからねぇ。←ド変態のタワゴト
28名無しさん@おーぷん :2014/12/06(土)19:04:26 ID:Np6
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
The Swastica has four arms, representing the four latent aspects of the [heh][vau]
[heh][yod] , the Primordial Elements.
「まんじ(卍)」は、[heh][vau][heh][yod]の4つの潜在した様相たちである「原始的な
元素たち」を象徴している、4つの腕を持つ。

It is not trinitarian.
それは、三位一体ではない。
--- ここまで ---

「Primordial Elements/原始的な元素たち」は、以前にも出てきていた通り、「ケテル」
の中に潜在している未分化の「四大元素たち」のことです。

つまり、この「four arms/4つの腕」も、実は未分化で潜在していて、我々には直接見る
ことの出来ないものというわけです。
でも、我々には見えないけれども、そこに「ある」ことは、理論上推測される、というか、
理論上そこに「あるべき」ということになるということです。

要するに、何度も言いますが、それが「未分化で潜在している」という状態であって、
我々から見れば、「ない」のと同じことであり、そういう意味では、初心者にとっては、
かなり「使いづらい」概念でもあるわけです。

なお、ここで「trinitarian/三位一体」という言葉が、大文字で始まる固有名詞でなく、
小文字で始まる一般名詞となっているのは、いわゆるキリスト教の「父と子と聖霊」から
成る「三位一体説」を含む、広義の「異種結合体」のことを指しているわけです。
そして、この「三位一体」という場合の「異種結合体」は、それが同根であったとしても、
既に分化済みで個性のしっかりしたものであって、基本的には独立したものと見なすことも
できるわけです。

それに対して、「ケテル」の「原始的な元素たち」は、全くもって混沌としていて、四つに
分離して考えることが困難なものであり、そういう意味では、「trinitarian/三位一体」
とは似て非なるシロモノであるということなんですよね。
29名無しさん@おーぷん :2014/12/08(月)07:00:08 ID:t8G
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
These are the energies which, unified in Kether, are finally differentiated into
the four Base Elements of Malkuth, called the Bride of Microprosopus.
「ケテル」の中で一体化された、これらの精力は、「ミクロプロソプスの花嫁」と呼ばれる
「マルクト」の4つの「基底的な元素たち」へと最終的に分化される。

Malkuth is Kether on the lowest arc, and defines the principle of "As above, so
below."
「マルクト」は最も低い弧の上の「ケテル」であり、「上の如く、下も然り。」の原理を
定義する。
--- ここまで ---

ケテルの中で「四位統合」していた「Primordial Elements/原始的な元素たち」は、
最後に「マルクト」において「四位一体」となり、「Base Elements/基底的な元素たち」
として、その真の姿をリアル世界に顕現してきます。

ちなみに、「生命の木」には、色々な「trinitarian/三位一体、三つ組」のパターンが
存在していますが、それらはみな「セフィロト」の組み合わせであり、「セフィラ」自身
の中で「合体」して「調和」しているものは、「ケテル」と「マルクト」に限られます。

つまり、「マルクト」は表向きは「ミクロプロソプスの花嫁」と呼ばれてはいますが、
その「マルクト」は、実は「マクロプロソプス」である「ケテル」とも特別な関係を持つ
闇の「セフィラ」であって、そして特別に別レベルの世界で結合している、すなわち上位
の「マルクト」と下位の「ケテル」が裏ではこっそりと重なり合っているという、昼メロ
のドラマによくある的な性質を持っています。
ついでに言うと、本来は「ケテル」が「総攻め」であり、「マルクト」が「総受け」なの
ですが、レベルを超える際には、「マルクト」が「総攻め」で「ケテル」が「総受け」と
いう、夜の女王スタイルへと変貌するということなのです。
そして、これこそが、「上の如く、下も然り。」の真の奥義となるわけですよね。←総嘘

ちなみに、上記の文の「on the lowest arc/は最も低い弧の上の」の「arc/円弧」の
意味は、いまいちよくわからないのですが、とりあえず「電弧」すなわち「ケテル」から
発せられた輝く稲妻が、(他の8つの「セフィロト」を通過した後、)最後に「マルクト」
に到達して終わる、みたいなことを想像してみました。
この場合、基本的には、空間を隔てて、電気のプラス極とマイナス極のような、対になる
関係性が両者にはあって、その両者の間で熱い火花を散らすような、とても熱くて深い
因縁があるということなのですよね。

まあ、このあたりの熱い話は、マサース氏の『The Kabbalah Unveiled/ヴェールを脱いだ
カバラ』の、主に序説第38節あたりに詳しく書かれていますので、ヒマな人は読んでみて
ください。
30名無しさん@おーぷん :2014/12/09(火)06:42:09 ID:4ux
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
The Swastica is the perfect symbol for the Primordial Elements because if the arms
are imagined in motion, like the blades of a fan, each is indistinguishable from
the other.
「まんじ(卍)」は、腕たちが運動しているのが、扇風機の羽根のように想像される場合、
各々(の羽根)は他のものと区別できないので、「原始的な元素たち」にとって最適な象徴
である。

As the Elements are represented in Malkuth, on the Tree of Life, they are sharply
defined.
「元素たち」が、「生命の木」の「マルクト」において表現されるようになって、それらは
急激に明瞭に定義される。
--- ここまで ---

「ケテル」の4つの「Primordial Elements/原始的な元素たち」は、いわゆる理論上の
存在であって、本当に4つのものが実在するかどうかは、我々には見えないし、実験して
確認することもできません。
というか、それらは高速回転している上に、どれもが高速で相転移して入れ替わっている
ため、個別に「元素属性値」を観測できたところで、どれもが同じように見えてしまって、
違いを確認すること自体が無理なものです。

生まれたばかりの「ケテル」の「統合」状態にある「原始的な元素たち」は、その後、
「生命の木」を徐々に降下しながら、相転移を繰り返し、最後に基底状態となって、
「マルクト」において「四位一体」の存在となり、「Base Elements/基底的な元素たち」
としてカオスの中から結晶化して沈殿し、我々の目にも見えるようになるというわけです。
つまり、「ケテル」の高速回転していた無色の「まんじ(卍)」が、最終的に「マルクト」
の静止した4色の「丸十字」に変化していくということですよね。
(静止したので、4つの腕の曲がりが、真っ直ぐになっているわけです。)

ちなみに、その途中の「コクマー」から「イェソド」の間は、「元素たち」は不安定な相
の状態であり、それ自体で明確な特徴を出すことは少なくて、他の属性の方が優って
いる状態です。
つまり、「卵」が「ケテル」で、いまいち特徴の無い「幼虫~さなぎ」が「コクマー」から
「イェソド」であり、そして色鮮やかで様々な形態的特徴を持つ「成虫」が「マルクト」
といった感じでしょうか。

ただ、この「マルクト」の地味な色から、「蝶」よりも「蛾」をイメージしてしまうのは、
ワタシだけではないですよね。(苦笑)
31名無しさん@おーぷん :2014/12/10(水)06:38:56 ID:296
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
"As above, so below" is a principle which states, in essence, that Malkuth, the
densest development of the universe, is equally holy as the source.
「上の如く、下も然り」とは、本質的に、宇宙の最も高密度の発達である「マルクト」は、
源泉のように等しく神聖であることを述べている原理である。

Fundamentalists, finding the physical world evil, per se, are misguided extremists.
物質世界を悪と評決している原理主義者たちは、それ自体、間違って指導された過激論者
たちである。
--- ここまで ---

「上の如く、下も然り」とは、「ケテル」と「マルクト」は本質的には同じものであり、
見た目も大きさも重さも色も香りもとにかく全然何もかもが違うけれども、それに含まれる
実効成分には、実質的な違いは全く無いということです。

つまり、「ケテル」で得られるものは、レベルは違うけれども、「マルクト」でも同様に
得られるということであり、そしてそれを知っておくことは、我々にとっては有益である
ということなんですよね。
そしてこれは、「上」を得ようとするならば、まずは「下」から探せということであり、
我々が「神」に近づこうとするのであれば、地上の俗世での地道な修行が一番であると
いうことでもあります。

ただし、この「マルクト」の世界においては、様々なものがあちこちに凝集しているので、
決して均質なものではないわけです。
その結果、不平等が生まれ、そしてそれにより人々の心に欲望や嫉妬が生まれ、争いの元
になったりするわけで、この違いについては、きちんと理解しておく必要があります。

まあ、あちこちに固まりがあって不均質な「マルクト」をミキサーにかけてドロドロの
ジュース状にすれば、割と「ケテル」に近い性質を持つものになるような感じですかね。

結局のところ、「上の如く、下も然り」は、「本質的には」という総体的な条件付きで
あって、どの個別案件にでも、そのまま適用できるものではありません。
きちんと適用しようとするのであれば、まずは案件を取り巻く固い殻やゴミを取り除き、
さらにミキサーにかけてドロドロにして、その中から様々な方法を用いてエッセンスを
抽出すれば、「ケテル」の性質を持つ「純物質」を精錬することができるという感じです。
まあ、大量の鉱石から、「金」や「有用成分」を取り出す錬金術のようなものですよね。

いずれにしても、「マルクト」の存在である我々が、「ケテル」の「神」に近づこうと
するのであれば、「ケテル」と本質的に同じである、この「マルクト」の物質世界を否定
するような「misguided extremists/間違って指導された過激論者たち」になってはなら
ないということなのです。
否定する態度からは、何も有用なものは生まれませんしね。

そして「上の如く、下も然り」、つまり、我々と神とは、本質的には同じものですしね。
32名無しさん@おーぷん :2014/12/11(木)06:36:55 ID:tTT
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
This question of evil is best approached in dealing with Kether because this is
the sole area of the Tree of Life where no evil exists.
この悪についての問題は、悪が全く存在しない「生命の木」の唯一の領域であるので、
「ケテル」を扱うことが最も良い取り組み方法である。

It is the Holy of Holies, having no opposing energies within it.
それは、その中に対立する精力を持たない、「至聖所」である。
--- ここまで ---

さて、いきなり「上の如く、下も然り」とはならない例外処理を、ここで取り扱います。
つまり、「ケテル」は未分化で統一されたミソクソな状態であり、そこから産み出された
他の「セフィロト」は既に進化して特徴が発現したバラバラな状態のものであるという、
根本的な違いについての確認でもあります。

ちなみに「the Holy of Holies/至聖所」というのは、聖なる神殿の奥にある、一般人
立ち入り禁止の「内陣」みたいなものであり、最も神聖なる聖域という感じのものです。
神聖なる「生命の木」の一番奥にあって、「悪」の入り込む隙の全く無いものが、この
「ケテル」であるので、まずは「ケテル」の立場に立ってから、その他の「セフィロト」
に発生する「evil/悪」について大局的に語るのが、一番わかりやすいということですよね。

下の立場から、個別案件の「悪」を語ろうとすると、どうしても「おまえが悪い」「いや、
おまえの方が悪い」「オレたちは悪くない、上に立つ者が絶対に悪い」「全部社会が悪い」
「そもそも、こんな世界を作った神が悪い」「よし、こんな世界は、潰してしまえ!」という
ような、よくあるストーリーで「闇堕ち」するパターンになります。
そういう場合は、ダークヒーローやダークヒロインになることもなく、敵ボスの名無しの
手下化という、しょせん顔の見分けのつかない黒ずくめのザコ敵化がオチであって、決して
良い結果を生まないということなんですよね。

ところで、なぜこのような「悪」の概念が発生してしまうのでしょうか?
それは、根本的には、「善」があるから「悪」もある、ということになるわけです。
つまり、「善」と「悪」という、対立する概念を未だに持たないのが「ケテル」であると
いうことであり、「善」「悪」の話を始めるのであれば、この源流から下々の具体的世界
へと下っていくストーリーの方が、初心者にとっては分かりやすいということですよね。
33名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)06:38:35 ID:dRC
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
Evil is unbalanced force.
悪とは、精神的平衡を失った力である。

It is a by-product of evolution, resulting from a stage of temporary imbalance in
one Sephira, prior to the mitigating emergence of another.
それは、別のものの緩和する出現に先立って、1つの「セフィラ」の中の一時的な不均衡の
段階に起因する、進化の副産物である。

That is the Qabalistic theory: at each point of evolution is left an extreme of
a specific energy.
それは、カバラ主義の以下の理論である:進化の各々の時点においては、特定の精力の
「極端なもの」が残される。
--- ここまで ---

カバラにおいては、「Evil/悪」とは絶対的なものではなく、完全一体の「ケテル」から
流出した純粋エネルギーが結晶化していく、相転移の進化途上で発生する、一時的な
「unbalanced/アンバランス」な状態に起因するものという見方をしています。

つまり、「善」と「悪」が最初からこの世界に存在したというよりも、最初はみんな一緒
で、善悪一体だったものが、進化して成長していくにつれて、それぞれの個性が発現し、
全体的にはバランスは取れているけれども、個々の部位においては、アンバランスなもの
となっていくというわけです。

結局のところ、形が無く極高エネルギー状態の単一体の「ケテル」から、安定した形を持ち、
比較的安定したエネルギー準位の階層を持つ「生命の木」の構造を作ろうとするのであれば、
このような各部の不均衡と個性化というものは、どうしても必要とされるものです。

そして、完全無欠な単結晶とはならなくて、不均一な結晶化に起因する「歪み」の部分に
不完全なものが集中し、それが極端な場合は、目に見えるような「傷」や「悪」になると
いうわけです。
結果として、ほとんどのものが結晶化している我々の世界の通常の状態では、このような
「世界の歪み」は、いたるところに存在しており、その大きなものは、我々の意識でも
認知できる程度の「傷」や「悪」として感じることができるというわけです。
まあ、ミラージュ様が、ダークサイドに墜ちてコスプレ女王化したのも、こういうカバラ的
な理由があったということなので、それはそれで許されることなのですよ。

なお、個人においては、そういう進化途中の歪み、つまり一種の反抗期や停滞期という
ものは、ある程度の経験値を積んだり、覚醒イベントをクリアすることで、次第に緩和
されて、次のステージへと進むことができるようになるものなのですが、たまに厨二病を
こじらせてしまって、穴から抜け出せないワタシのような者もいるわけなんですよね。

いや、ワタシは進化なんてしなくてもいいですしおすし・・・←反抗期w
34名無しさん@おーぷん :2014/12/14(日)07:27:50 ID:aTI
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
Evil is an extreme.
悪とは、極端である。

It attempts to pull to one side, making balance impossible.
それは、均衡を保つこと不可能にし、一方の側に引き寄せようと試みる。

Unity is the ultimate good, and unity is the result of the balance of two opposites.
統一とは究極の善であり、そして、統一とは2つの正反対のものたちの均衡の成果である。
--- ここまで ---

いきなり、「Evil is an extreme/悪とは、極端である」と決めつけられても、これは
これで「extreme/極端」な極論のように見えますよね。

つまりこれは、一般論として語れるような普遍的理論ではなくて、前述の文にあるように、
あくまでも「Qabalistic theory/カバラ主義の理論」の一つであるということであって、
我々の住む低次の世界の現象に、何も考えずにそのまま適用するのは、愚の骨頂という
レベルのものであることに注意しておいてください。

まあ、何が言いたいかというと、しょせん我々の考える「善」や「悪」の概念というもの
は、極めて主観的なものであって、個人的な感情を抜きにして普遍的かつ論理的に語る
ことは、そう簡単ではないのです。

つまり、個人的レベルで見ていくと、各々の例外事項が多すぎて、真の「統一」という
「究極の善」にたどり着くことは、ほとんど不可能なんですよね。
もちろん、ごく短い時間とか、短い距離においては、不確定性原理により「仮想統一」の
状態になることはありますが、この低レベルの世界においては、すぐに分裂してしまいます。

じゃあ、これはロクに使えない理論なのかと言われれば、決してそういうことでもなくて、
要するに「表面上のもの」には直接適用せずに、「生命の木」が実在する不可視のフィールドに
おいてのみ適用すべき理論であると考えているわけです。
要するに、真正面から口で説明して論理で納得させるのではなくて、色々な方法で、不可視
フィールドに働きかけて、そういう「流れ」の雰囲気を作って、感覚的に納得してもらうと
いう感じですかね。

まあ、ワタシとしては、「善」とか「悪」とかを、口先だけで大上段に振りかざすような
ヤツは、全くもって信用できないということなのですよ。
そういう「善・悪」は、あくまでも「主観的」に見える/思い込まされる、好き嫌い的な
一方的な尺度であって、それらの背後には、必ず「生命の木」の二者バランス理論で測定
可能なものが潜在しているということだけは、知っておいても損は無いかと思います。

とはいえ、今までにも、数多くの「カバラ主義者」が、この「善」「悪」について研究し、
色々な理論が発表されてはいますが、それらの理論の真の意味を知るのは、我々のような
一般人にとっては、なかなか難しいことではないかと思うのでした。
35名無しさん@おーぷん :2014/12/15(月)06:31:34 ID:rbj
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
For example: Geburah is dynamic strength, and its opposite, Chesed, is Mercy or
Love.
例えば:「ゲブラー」は、活動的な強さであり、そして、その反対の「ケセド」は、「慈悲」
あるいは「愛」である。

The extreme of Geburah is hideous cruelty.
「ゲブラー」の極端は、見るも恐ろしい残酷さである。

The extreme of Chesed is the worst kind of weakness manifesting as bigotry and
hypocrisy.
「ケセド」の極端は、偏見や偽善のように、最悪の種類の顕現した弱さである。
--- ここまで ---

この「セフィロト」の「4:ケセド」と「5:ゲブラー」は、「生命の木」のバランス理論
の例として、最も特徴的であるために、良く使われるものです。

なんで特徴的になるのかと言うと、「2:コクマー」「4:ケセド」「7:ネツァク」の
「慈悲の柱」においては、「2:コクマー」と「7:ネツァク」が陽性の性質を持つもので
あって、「4:ケセド」が唯一の陰性となっているために、「4:ケセド」がより強い陰性
を持つことで、上下にある「2:コクマー」と「7:ネツァク」の陽性を引きつけて中和して
おく必要があるということであり、同様に、「3:ビナー」「5:ゲブラー」「8:ホド」の
「峻厳の柱」においては、「5:ゲブラー」が唯一の陽性極であるために、強い陽性を持つ
ことになっているわけです。

つまり、全体的に見てバランスが崩れないように、綿密に計算され、最も一体感を持つ
ように設計されているのが、「生命の木」であるわけですよね。

もちろん、理論は完璧であっても、現実には、そうはならないことも多いわけです。
そして、各部のバランスが崩れた結果が、ここにあるような「extreme/極端」な例と
なるわけですよね。

要するに、「悪」とは単独で存在するものではなく、あくまでも「生命の木」のバランス
が崩れた状態の一つであるというのが、カバラ的な「悪」の理論ということであって、
空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、ワタシの性格が悪い
のも、みんな「生命の木」のバランスが崩れたせいにしておけば、全ては丸く納まると
いうことなのですよ。

まあ、そういう意味では、この「Unity/統一」理論は、こういう意味不明の責任転嫁を
するには、割と使い勝手は良いんですよね。

ボクは何も悪くない! 全部「生命の木」が悪いんだぁ~。←ガキの主張w
36名無しさん@おーぷん :2014/12/16(火)06:39:02 ID:CMZ
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
Dion Fortune makes the point that there are two kinds of evil, positive and negative.
ダイアン・フォーチュン氏は、正と負の、悪の2つの種類があるということを主張している。

Negative evil is not so much a matter of choice as unbalanced temperament.
負の悪は、均衡を失った気質ほどには、選択の余地は多くはない。

But positive evil involves willfully espousing an unbalanced force for some sort
of self-gain.(*65)
しかし、正の悪は、ある種の自己利益の不平衡な力を故意に信奉することを巻き込む。(*65)
--- ここまで ---

ちなみに、(*65)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
65. Dion Fortune, The Mystical Qabalah, London 1951, 299.
65. ダイアン・フォーチュン著、『神秘のカバラー』、ロンドン、1951年発行、299ページ。

Dion Fortune was a member of the Order of the Golden Dawn, but broke with Mrs.
Mathers to form her own group, The Society of the Inner Light.
ダイアン・フォーチュン氏は、ゴールデン・ドーン団の団員であったが、彼女自身の団体
である「内光協会」を形成したためにマサース夫人と絶縁した。

The Mystical Qabalah remains the standard against which all books on the Hermetic
Qabalah are judged.
『神秘のカバラー』は、「ヘルメス主義的カバラ」に関する全ての書籍たちが審査されて
いることに対抗して、標準として生き残っている。

The Society established by Fortune has, however, turned toward Christian Qabalism
of a sort that Fortune would undoubtedly have disapproved.
しかしながら、フォーチュン氏により設立された「協会」は、フォーチュン氏が疑う余地も
無く不賛成であった種類の「キリスト教カバラ」の方へと向かった。
--- ここまで ---

政府の悪、いやいや正負の悪に関する『The Mystical Qabalah/神秘のカバラー』の原著の
299ページは、邦訳だと第二十六章「クリフォート」の第8節あたりになります。

ちなみに、ダイアン・フォーチュン氏は、どちらかというと「正」側で、マサース夫人、
すなわちミナちゃんは「負」側の人間に相当します。
つまり、この『神秘のカバラー』という本には、「ある種の自己利益の不平衡な力を故意に
信奉することを巻き込む」に相当する自己主張の強い箇所がいくつか見られますので、
ミナちゃん派のワタシにとっては、そういう意味では「standard/標準」ではありません。

ただし、割と一般人向けに書かれた、良く言えば面白い、悪く言えば低俗な感じの文体と
内容ですので、(初心者の中では)それなりに評判は高いのではないかと思います。

ということで、初心者の方は、ぜひとも御一読くださいませ。← 必読書ですから
37名無しさん@おーぷん :2014/12/16(火)20:52:21 ID:wJP
こういう場合、シュタイナーの、昔、大地も空も
海も分離しておらず、流動的な世界の中で、人間は
人間の形をしておらず、四肢を使って泳いでおり
、男女の区別なく、言葉もまだ発明されていな
かった、というような話も出てきますね。
で、こういう発想だと、日本の天皇も、初代から
三代くらいまでは、人間の形をしておらず竜の形を
していたという、先代旧事本紀大成経の話も、わり
にナチュラルに受け付けられます。

38名無しさん@おーぷん :2014/12/17(水)06:33:12 ID:wCD
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
Each Sephira has its unbalanced aspect, and a system of named Demons, as it has its
God Names and Angelic forms, known as the Qlippoth.
各々の「セフィラ」は、その不均衡な様相を持ち、そして、それがその「神名たち」と
「天使」の形態たちを持つように、「クリフォト」として知られている、指名された
「悪魔たち」の体系を持つ。
--- ここまで ---

「good/善」と「evil/悪」の対立概念は、この地上世界(アッシャー界)に生きている
人類普遍の思想であり、『旧約聖書:創世記』の物語においても、ストーリーの「鍵」と
なる重要な役割を果たしています。
つまり、アッシャー界の「セフィロト」って、それぞれが「unbalanced aspect/不均衡な
様相」を持っていて、天使と悪魔の顔、つまり、阿修羅のように、いくつもの顔を持って
いるということですよね。

もちろん、「ユダヤ教カバラ」においても、この「Kelipot/クリフォト」の概念は、古く
から研究されており、『ゾーハル(光輝)の書』にも出てきます。
なお、ゴールデン・ドーンの「クリフォト」の体系は、この『ゾーハル』の思想がベースと
なっていますので、その辺りのことは、マサース氏の『The Kabbalah Unveiled/ヴェール
を脱いだカバラ』を参考にすると良いのではないかと思います。

ちなみに、この「クリフォト」という下界の概念は、厨二病のネタとしては、なかなか面白い
ようなのですが、ワタシとしては、いまいちそっち方面には興味が沸かないのでした。
まあ、下界の現実じみた悪魔の世界よりも、脳ミソお花畑の天使の舞う妄想世界の方が、
ワタシとしては楽しいですからねぇ。←現実逃避w
39名無しさん@おーぷん :2014/12/17(水)06:45:48 ID:wCD
>>37
世界創世とか人類創造とか天孫降臨の伝説のように、人間の妄想世界のストーリーって、
割と似たようなパターンになるのが多いですよね。
最初は、カオスな渦巻きで始まるというのも、割と定番かと思います。

そういう意味では、壮大な「ビッグバン宇宙論」とかよりは、人間は下等な猿から進化した
という「進化論」の方が、人類にとっては思想的なインパクトがあったのかもしれません。

まあ、人間にとっては、猿に限らず全ての自然が先祖であり父であり母ですので、
みなさん自然をもっと大切にしましょう。 (^_^;; ← いきなりの論理飛躍ww
40名無しさん@おーぷん :2014/12/18(木)06:50:30 ID:z31
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 55) ---
These are extremes which are also found in each individual, in varying degrees,
and which the Qabalah serves as a method of first defining, and then bringing
under control.
これらは、極端なものたちであり、それらはまた、各々の個人の中に、そして変化する段階
たちの中に見られるもので、そして「カバラ」は、それらを最初に定義して、それから
支配下に置くための方法として、役に立つ。

It is for this reason that a system such as that of Abramelin invokes both the good
and evil forces.
「アブラメリン」のそのような体系が、善悪の両方の力たちを召喚するのは、こういう
理由による。
--- ここまで ---

何度も「extreme/極端」という言葉が使われていますが、要するに「悪」とか「悪魔」
とかいうものは、あくまでも「生命の木」の理論の極端なもの、すなわち「生命の木」の
理論で取り扱うことのできる範囲のものということを意味しています。

つまり、もう全部「生命の木」一人でいいんじゃないかな、ということであって、それゆえ
「生命の木」は「唯一無二」の完璧究極理論であるということなわけです。

ちなみに「Abramelin/アブラメリン」というのは、魔術師の中では有名な本です。
元々は、著者も執筆時期も不明な「Buch Abramelin/アブラメリンの書」というドイツ語
で書かれた手書きの本であり、この最も古い写本は1608年の日付となっていますので、
それ以前に書かれたということになります。
この魔術本は、その手の業界で割と有名となり、いくつか写本や印刷版や翻訳版が出て
いましたが、マサース氏がそのフランス語版を入手して英訳し、「The Book of the Sacred
Magic of Abramelin the Mage/術士アブラメリンの聖なる魔術の書」として、1897年に
出版したことで、ゴールデン・ドーンにおいても重要な書として取り扱われています。
その後、クロウリー氏が、この本の内容に興味を持ち、自分自身の団体に色々とその要素を
持ち込んでいますので、そういう意味でも有名な本ということになっています。

とはいえ、ワタシは魔術師ではないので、リアルな「good and evil forces/善悪の両方
の力たち」、すなわち「天使」とか「悪魔」などの召喚には、いまいち興味は無いわけです。
ただし、二次元の「天使」とか「悪魔」というものについては、割と興味はあったりします
ので、そういう意味でのネタ的な興味があるくらいです。 ← いまいちヤル気を見せていない
まあ、そんなものをリアルに召喚したところで、ロクなことにはならないですし、別に
自力で召喚しなくても、この世界には、普通に「天使」も「悪魔」もいますからね。

というわけで、「アブラメリン」の内容と手法と理論と実践面に興味のある方は、ぜひ
ご自分で調べてみてください。 ← 丸投げ状態
41名無しさん@おーぷん :2014/12/19(金)06:50:32 ID:bUC
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
One is viewed as no better than the other, since they are both an integral part of
All.
それらのものは、両方とも「全てのもの」として不可欠な部分であるので、一方のものが、
他方のものと同じように見られる。

There is no value judgment, only the desire to understand and bring under the control
of balance.
それには、価値判断は無く、理解し、均衡の制御の下に置くという願望のみである。
--- ここまで ---

最初の「they/それらのもの」は、前述の「extremes/極端なものたち」、すなわち「悪」
という属性名が付けられた「セフィラ」の外縁部に存在するものたちです。

要するに、それらのものは、しょせん「one/一方のもの」と「the other/他方のもの」で
あって、どちらが「善」でどちらが「悪」であると決めつけるような、下界の人間の価値観
に基づく安っぽい「judgment/判断」をすることは全く「no value/価値の無い」ことで
あるということです。
要するに、「目クソ」も「鼻クソ」も同じようなものであり、「ミソ」も「クソ」も同じ
ようなものであるということであり、こういう理論で、ス○○○趣味も容認されるという、
とても高尚で尊い医学的かつ健康的な理論となるわけです。

実際のところ、このミソクソ、いやいや「食と○○」という事例は、「one/一方のもの」
と「the other/他方のもの」の良い例でもあり、それらを「理解し、均衡の制御の下に
置くという願望」が、いかにアッシャー界における人間にとって大事であるかということ
を実感するものでもあるわけですよね。
そもそも、人間の欲望として最初に発現してくるものが、この「ミソ=口唇期」と「クソ
=肛門期」であって、どらも人間にとっては、「ntegral part/必要不可欠な部分」である
ということでもあるわけなのです。

とりあえず、「魔術」で使う極端な「パワー」や「エネルギー」には「善」も「悪」も
無いというのは、こういった建前的な理論が根拠としてあるわけですが、そうは言っても、
術者の「desire/願望」によっては、「善」も「悪」もあるように見えるわけです。
この場合、バランスを取ることが「善」で、極端に走ることが「悪」という方向性がある
ということは、色々なネタとして、知っておいた方がいいかと思います。
まあ、本音と建前は、「ミソクソ」にせず、しっかり区別しておこうということですよね。
42名無しさん@おーぷん :2014/12/21(日)06:44:43 ID:nLt
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
This is the meaning of the warring families of the Bhagavad Gita.
これは『バガヴァッド・ギーター(神の詩)』の戦争する家族たちの意味である。

They are the component parts of the personality which is, literally, at war with
itself until the battle is resolved through the intermediary of the Higher Self
(Krishna in this work) and peace restored.
それらは、戦闘が「高次の自我(この作品におけるクリシュナ)」の仲介者を通じて解決
され、平和が回復されるまで、文字通り、自分自身と戦っている、個性を構成する部分たち
である。
--- ここまで ---

『Bhagavad Gita/バガヴァッド・ギーター(神の歌)』は、インドのヒンドゥー教の聖典
である叙事詩『マハーバーラタ』の一部であり、その『マハーバーラタ』の中でも最も人気
のある部分となっています。
邦訳もされていますし解説書もありますので、興味のある方は読んでみてください。

ちなみにワタシは、インド系の宗教理論は、いまいち気が乗らないので、読んだことは
ありません。
というか、宗教というものに対して、ちょっと斜に構えたところがあるので、こういう
お説教じみたものには、何となく抵抗感があるんですよね。
いくら宗教が「真理」を説いたところで、ワタシは、そういう「そっち側の人の論理」
には、いまいち興味が無いわけであって、どちらかというと、もっと普遍的なものに
興味があるわけなのです。
まあ、だからこそ、宗教色の薄い「魔術カバラ」の方に、興味を持ってしまったという
ことなんですけどね。

いずれにしる、ここで持ち出されている『バガヴァッド・ギーター』についての詳細は、
ワタシからは特にコメントできるようなものはありません。
とはいえ、インド系の宗教理論に興味のある人にとっては、この例えは、比較的すんなりと
理解できるものがあるのではないかと思いますので、わかる人にだけわかってもらえれば
と思います。

ちなみにワタシは、分かっていない人ですので、ツッコミしないでください。←無責任なヤツ
43名無しさん@おーぷん :2014/12/21(日)22:44:53 ID:XU6
無条件の愛の方向で、一体化していくコースは、ずいぶんとルシファー的なもので、
それは全体性、ユニティに戻るように見えて、実はトリトコスモスに幽閉される。
ということでしょうか。
44名無しさん@おーぷん :2014/12/22(月)06:50:58 ID:sFn
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
The ultimate peace and unity of Kether is represented by a special anthropomorphic
symbol known as a Magical Image.
「ケテル」の究極的な平和と統一は、「魔術的な肖像」として知られている、特別な神人
同形論の象徴により表現される。
--- ここまで ---

「カバラ」における「特別な神人同形論」というのは、言うまでもなく、『旧約聖書:
創世記』1:27にある「So God created man in his own image, in the image of God
created he him; male and female created he them./神は御自分にかたどって人を
創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(KJV/新共同訳)
の部分が原点となります。
そして、これを元ネタとして、色々な擬人化した神のイメージが神ヲタク、いやいや
カバラ研究者の中で創作され、発展していったということになるわけです。
そして、その創作物の中でも、最も神秘的で重要視されているのが『ゾーハル(光輝)の書』
にある「アダム・カドモン」の描写となっているわけです。
ただし、『ゾーハル』には図版はありませんので、後世の物好きな絵師、いやいや熱心な
カバラ研究家が、色々なイメージを具体的な絵図として残してくれています。

と書くと、色々とイケナイ妄想をしてしまう人がいるかと思いますが、そういう妄想を
一切排除するために、この「アダム・カドモン」は、「男性の老人」の姿として描かれて
いますので、そういう話は、期待しないでくださいね。

そして、こういう「男性の老人」の姿に失望した、一部の、いやその他大勢の人々は、
また別の魔術ファミリー、すなわち「魔女っ子」というジャンルを作り上げていくと
いうわけですが、その話はまた別の機会にでも。(笑)
45名無しさん@おーぷん :2014/12/22(月)06:51:41 ID:sFn
>>43
「無条件の愛」って、何となくかっこいい言葉の響きですが、よくよく考えれば、
これって「思考停止ワード」なんですよね。
つまりこれは、「人」を「人でなし」に変える、要するに「人」を「物質化」して奴隷化
する、ブラック企業の「イメージ優先スローガン」みたいなものだと思っています。

まあ、そういった言葉に惑わされず、自分自身を、そして相手を客観的に見れれば良い
のですが、それって実は、なかなか難しいことなんですよね。

結局のところ、普通の人間は、こういう「無条件の愛」というようなスピリチュアル系
のような地雷源には、なるべく近づかない方がいいのではないかと思うのでした。

というわけで、ワタシは「愛の恵み」は、二次元世界でのみ鑑賞するのでした。

(キュアラブリー、なかなかいいよね・・・)
46名無しさん@おーぷん :2014/12/23(火)07:05:28 ID:xP5
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
Such an image is given for each of the Sephiroth, and has been built up over the
centuries by meditative work on the inner planes.
そのような肖像は、「セフィロト」の各々に与えられ、そして数世紀にわたって内的な面
たちの上での瞑想的な作業により築き上げられ続けている。

These images are, along with the applicable symbols, points of contact with the
energies of the Sephiroth.
これらの肖像たちは、適用可能な象徴たちと一緒に、「セフィロト」の精力たちとの接触点
たちとなっている。
--- ここまで ---

この「セフィロト」の「Magical Image/魔術的な肖像」は、ダイアン・フォーチュン氏の
「The Mystical Qabalah/神秘のカバラー」(大沼忠弘訳)に掲載されていますので、
以下に抜粋しておきます。
 1. ケテル:髯をはやした古代の王の横顔
 2. コクマー:髯をはやした男性の姿
 3. ビナー:成熟した女性、母
 4. ケセド:王冠を戴き、玉座に坐った王の雄姿
 5. ゲブラー:戦車に乗った力強い戦士
 6. ティファレト:「威厳に満ちた王」、「子供」、「犠牲となった神」
 7. ネツァク:「美しい裸の女性」
 8. ホド:「両性具有」
 9. イェソド:「非常に力強い、美しい裸の男性」
 10. マルクト:「冠を戴き、玉座に坐った若い女性」

さて、ユダヤ・キリスト教では、こういった「偶像崇拝」的な行為は、原則禁止されていた
のではないかと考える人もいるかと思います。
まあ、「偶像崇拝禁止」のベースとなっている「モーセの十戒」においては、神に関する
全ての三次元フィギュアと二次元画像の作成・所持・使用は、一律禁止されており、
そういう原則論からすると、かなりキワドい行為であることには、間違いありません。

とはいえ、ここで明確に禁止されているのは、三次元や二次元などの「実体化」であって、
文字表現や象徴表現、そして仮想的な脳内妄想については、実質的に取り締まりの範囲外で
あるということになっているようで、そういうわけで、神秘ヲタク系のカバラについては、
「やっちゃダメ」と言われているものに対する「meditative work on the inner planes/
内的な面たちへの瞑想的な作業」が発達したということになるわけです。

まあ「見るなよ、絶対見るなよ!」と言われれば、どうしても見てみたくなるというのが、
人間の性というものですよね~。
そして、隠せば隠すほどに、その妄想は強く広がり、最終的に物理的な肉体の限界を突破
して、あらゆるシーンで「見えた!」とカキコし、あらゆるセリフをあの言葉に漢字変換
する「スレの紳士たち」と呼ばれる神々の住まうバーチャル世界の住人になるわけですよ。

え、なんか違うって?
47名無しさん@おーぷん :2014/12/24(水)06:45:56 ID:yTc
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
In the case of Kether, the image is that of an Ancient Bearded King Seen in Profile.
「ケテル」の場合においては、肖像は、「横顔から見られた古代の髭を生やした王」のそれ
である。

This is a crowned and white-bearded head, seen from the right side, its left being
unknown to us, as it borders on the Unmanifest.
これは、戴冠し、白い髭を生やした頭を、右側から見たもので、その左側は、それが
「非顕在なるもの」と接しているので、我々にとって未知なるものである 。
--- ここまで ---

この「ケテル」の文学的イメージは、『ゾーハル(光輝)の書』で詳細に記述されており、
後代の物好きな絵師によって、いくつか非公式に二次元画像化されています。

とはいえ、ワタシとしては、そもそも「ケテル」はよくわかっていないものですし、それに
あまり妄想の対象としたくはないイメージであることも確かですので、ここはさらっと
華麗にスルーしておくことにします。←放置プレイw

もし、しっかりと妄想してみようかなぁと思った方は、『ゾーハル』をしっかりと読んで
みることを、お勧めします。
(ワタシは理解できずに挫折しましたけど・・・)
まあ、そういう意味でも、カバラの上級者って、ある意味すごい人たちなんだろうなぁ、
と思うのでした。
48名無しさん@おーぷん :2014/12/25(木)06:48:46 ID:QCf
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
As the Aces are attributed to Kether, they represent the most pure forms of energy,
subject to elaboration as the Sephiroth (symbolized by the other numbered cards
of the Tarot) consecutively emerge to form a complete World.
「エースたち」は「ケテル」に帰属されるので、それらは、(タロットの他の番号を付け
られたカードたちにより象徴される)「セフィロト」が、完全な「世界」を形成するために
連続的に出現するような綿密さの影響下にある、精力の最も純粋な形態たちを表す。

Each is unique and distinct in the degree of its density and in its specific type
of energy.
それぞれは、独特であり、その密度の程度と、精力のその特定の類型において、性質の
異なるものである。

Thus, when any Ace appears in a divination, it stands for great power.
したがって、どの「エース」であれ、占いで出現する場合は、それは偉大なる力を表して
いる。
--- ここまで ---

「ケテル」のパワーを象徴する4枚の「エースたち」は、それ以降の2~10までの数札たちの
親というか「種」であって、「種」の中に格納された純粋かつ完全な設計図であるDNAの
指令に従って、種が発芽した後は、「エース」が根となって天上世界から養分を吸収し、
枝葉である数札たちを成長させるということになるわけです。

ただし、タロットの場合は、この「エース」が4枚あるので、それぞれ微妙に異なるDNAを
持ち、その結果として、全く性格の違う「セフィロト」の個体が出現してくるということに
なるわけですよね。

いずれにしても、他の数札とは違って、「エース」は顔の半分が「非顕現なるもの」に
向いているので、とてつもないパワーと、とんでもない不可解さを兼ね備えているという
ことも確かです。

要するに、「エース」とは、まだよくわからないけれども、なんかすごいことが始まり
そうなものということであり、つまりは、よくわかんないということです。

まあ、大アルカナもそうなのですが、こういう上位世界の象徴イベントが、下界の我々に、
どのような影響を及ぼすかということは、マジでよくわかんないんですよね。
結局のところ、過去から現在にかけての地上における具体的な状況から、色々と上位世界
の隠れた動きを推論していくという、ちと回りくどい未来予測的な方法を取るか、手っ取り
早く「霊感」なるものを発動して、口から出まかせ、いやいや神様のお告げを受けとるか
ということになるわけです。

それぞれに一長一短がありますし、占う人の能力の問題もありますので、どちらの手法が
優れているかということは、一概には言えないわけです
つまりは、それらをうまく組み合わせて、それっぽいストーリーをデッチ上げていくという
のが、タロット占いの真の醍醐味であるということでもあるわけなんですよね。
49名無しさん@おーぷん :2014/12/26(金)06:54:01 ID:Bq7
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
Finally, it must be reiterated that while the Kether which is the Source of all
is a quality which cannot be known to us, it is a quality which we can symbolize
to some extent.
最後に、あらゆるものの「源泉」である「ケテル」が、我々に知られることのできない特質
であるとは言え、それは、我々が、ある程度は象徴化することのできる特質である、という
ことが繰り返し言われなければならない。

It is intriguing to consider the idea of eternity, an effort which tends to underscore
the very frailty of the system of definitions within which we necessarily function.
我々が必然的に機能を果たすその範囲内での定義たちによる体系の、とても脆弱さを強調
する傾向のある努力である、「永遠」の考え方について熟考することは興味をそそる。
--- ここまで ---

いずれにしても、「ケテル」の半分は、下界に住む我々にとっては、決して見ることの
できない「不可知の世界」であり、我々の知り得る、そして理解できる知識や思考力だけ
では、決して到達することの出来ないものでもあります。

でも、ゴールが見えないから、そして絶対に到達できないからと言われて、努力することを
やめてしまうのも、なんか面白くはないですよね。

つまり、我々自身の内にある「within which we necessarily function/我々が必然的に
機能を果たすその範囲内での」という、放送事故防衛のための事前検閲と自粛、いやいや
自己防衛のために展開された○○フィールドという心理的バリアを乗り越えることで、より
高次の「象徴化された○○世界」という、我々の知り得ない、そして理解できない世界の
話を、(○○○○ネタとして)考え、そして(○○○○ネタとして)語ることが出来るように
なるというわけですよ。
(ただし、そういう○○系のネタを理解できない他者には、決して話してはならないことですが。)

え、いまいち理解できないって?

大丈夫です。
この手のトンデモ話は、「理解できない」方が一般的ですし、「こんなの絶対おかしいよ!」
と思う人の方が、おそらく正常な考え方です。

いずれにしても、こういう心理的限界を突破して、自己統制されたミクロコスモスの個体から、
マクロなカオス状態に状態遷移できる人って、ハタから見れば頭のイカれた人ばっかりですので、
普通の人は、あまり近づかない方がいい世界なのですよね。

もちろん、ワタシも、そういう危ないものには、なるべく近づかないようにしているわけです。
でも、なんか好奇心が・・・(←こういう物好きなヤツが、ドツボにはまるわけですw)
50名無しさん@おーぷん :2014/12/28(日)09:58:44 ID:XGy
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
We may be able to deal with the idea that the division between matter and spirit
is artificial, or even a concept of intelligence which is totally formless, but
our concept of time falls hard!
我々は、物質と精神の間の境界が人為的であるとか、もしくは全体的に実体の無い知能の
概念でさえも、考え方として取り扱うことができるかもしれないが、しかし我々の時間の
概念は、困難に陥る!

We suppose that if God is not finite, he must be infinite.
我々は、もし「神」が有限ではないのであれば、彼は無限であるにちがいないと思う。
--- ここまで ---

ここは、直前の文にある、「ケテル」の「the idea of eternity/「永遠」の考え方」に
ついての、続きの考察の部分になります。

さて、我々の住む物理的宇宙自体は、いわゆる「ビッグバン」という「宇宙の始まった瞬間」
に誕生しているわけであり、時間も空間も、あらゆるすべてのものが、この「瞬間」に誕生
した、つまり「存在すること」が始まったということでもあります。

じゃあ、それ以前の宇宙には何があったの?という素朴な疑問になるわけですが、今の
我々の知識では、「無」であると答えることしか出来ないわけです。
要するに、これがいわゆる「ケテル」の裏側の世界の一つということになるわけですよね。

もちろん、空間のみの特性についての、その連続性について考察することは、それほど
難しいことではありません。
でも、我々の存在する、この「時空間」においては、この「時間」という概念は、かなり
特殊なものであり、人間の頭で、そう簡単に理解できる概念ではないわけですし、それを
論じようとするならば、我々は「数学」という究極に象徴的な体系に頼るしかないという
のが現状なのです。

ただ、我々が知っていることは、この宇宙においては、「始まりの時」があり、そして
我々は「現在」という時を過ごしていて、その未来への時間は、おそらく「永遠」に続く
であろうということであって、そして、その時間の流れは、一方的であって、決して過去
には戻らないということもあります。

つまり、この我々の持つ「時」という概念は、「ケテル」の持つ不可思議な特性を顕著に
表しているわけです。
そして、この「時」は、「ケテル」と同じように、我々にとっては、理解することが非常に
困難なシロモノであるというのも、確かなんですよね。

まあ、この手の最先端の宇宙科学的というか哲学的な理論は、よくわかんないし、興味の
無い人も多いと思いますので、このくらいにしておきましょう。
それに、この手のオカルト科学の話は、誤解されやすいものでもありますからね。
51名無しさん@おーぷん :2014/12/29(月)06:36:27 ID:tsQ
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
And yet, we are told that none of our human concepts can begin to apply to Kether,
and infinite is a human concept.
そして、我々は、我々人間の概念のどれも「ケテル」に適用し始めることができないと
言われているにもかかわらず、無限は人間の概念である。

There is a large degree of faith required here, and an open mind which asks
questions fearlessly until answers emerge.
そこには、ここで必要とされる大いなる段階の信頼と、そして答えが明らかになるまで、
恐れることなく質問たちを求める開いた心がある。
--- ここまで ---

神の概念として、「infinite/無限」という言葉がよく使われますし、我々の日常でも
「無限」は割と良く使われる言葉でもあります。

とはいえ、「infinite/無限」という概念は、人間にとって、もはや「解析不能」なもの、
すなわち「理論の敗北」を意味するキーワードであって、要するに「無」とか「無限」と
いうのは、「思考停止」ワードなんですよね。
そして、それ以上には、絶対に前に進むことは出来ない「絶対不可侵領域」なわけです。

でも、「絶対に」なんて言われていると、どうしても見てみたくなりますよね~w

そう、この隠されたものを、チラリでもいいからどうしても見てみたいという、エロ心と
下心満載の状態こそが、実は人間の「open mind/開いた心」の原動力となるわけであり、
そしてこれこそが、「上の如く、下も然り」、そしてケテル内部のカオス状態においての
「聖と俗」や「善と悪」のバランス理論の最良の例であるとも言えるわけです。

まあ、しょせん結論が「無限」であることは知っていますので、何をやってもロクな結論
しか出ないのは、百も承知なわけですよ。
でも、答えが出ないことを我々は分かっているにもかかわらず、それでも、何としてでも
それを見てみたいという根本的な欲求というのが、人間の奥深い心の中にあるわけです。

つまり、「カバラ」という思想体系というものは、そういう人の心の奥底に根ざした、
「開いた人の心」を純粋に体系化したもの、つまり「ミクロコスモス」そのものでも
あるというわけです。

そして、我々にとって母なる宇宙である「マクロコスモス」自体は、物理的に解析していく
ことは不可能なものであり、「開いた人の心」すなわち「ミクロコスモス」でのみ解析して
いくことが可能(ただし、今のところは「無限」)なものであるということです。

まあ「無限」を解析できる可能性があるのは、「無限」に対抗可能な「無限量」ですので、
そういう意味では、「開いた人の心」「ミクロコスモス」、そして「カバラ」には「無限の
可能性」があるという設定にしておかないと、これ以上は話が進まないわけです。
つまり、この「無限」というラスボスを打ち破る最終究極兵器となるのが、「カバラ」で
あり、我々はそれの可能性について、「large degree of faith/大いなる段階の信頼」を
求められているということなんですよね。

でもまあ、全ては「○○○を見たい」という欲求から・・・なんですけどね。←下劣な結論w
52名無しさん@おーぷん :2014/12/30(火)07:16:29 ID:XjX
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
THE ACES
エースたち
--- ここまで ---

ここからは、「1. KETHER: The Crown/1. ケテル:王冠」の節の中の、新しい項になって
います。
つまり、やっと本来の目的である「タロットカード」の説明文に、ようやくたどり着いた
ということですよね。
このサブタイトルの後には、「"T"の書」からの引用が続きます。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 56) ---
First in order of appearance are the four Aces, representing the force of the Spirit
acting in, and binding together the four scales of each element and answering to
the Dominion of the Letters of the Name in the Kether of each.
出現の順番の最初は、4枚の「エースたち」であり、内部で作動する「聖霊」の力を表し、
各々の元素の4つの段階に結び合わされ、そしてそれぞれの「ケテル」における「名前の
文字たちの支配領」に対して責任を負う。

They represent the Radical or Root-Force.
それらは、「根本的なもの」、もしくは「根源の力」を表している。

The Four Aces are said to be placed on the North Pole of the Universe, wherein
they revolve, governing its revolution, and ruling as the connecting link between
Yetzirah and the Material Plane of the Universe.(*66)
「4枚のエースたち」は、「宇宙の北極点」に配置され、それらはその中で回転して、
その(宇宙の)回転を統治し、「イェツッラー界」と「宇宙の物質的な面」の間を接続
する連結として支配すると言われている。(*66)
--- ここまで ---

ちなみに、(*66)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
66. Regardie, The Golden Dawn, v. IV. All quotations preceding the Court Cards
and the Minor cards are from 'Book T.' See note 19.
66. リガルディー著、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第4巻。
「コート・カードたち」と「小アルカナ・カードたち」に先行する全ての引用文は、
「Tの書」からである。注記19を参照。
--- ここまで ---
とあります。

とりあえず、この引用文では、ゴールデン・ドーンにおける「エースたち」の基本定理を、
三つの文でまとめて説明しています。

なお、この引用文の冒頭の「First in order of appearance」は、『The Golden Dawn』の
原文では「First in order and appearance」となっているのですが、なぜ違いがあるのか
は、ワタシにはわかりませんので、もし知っている人がいたら教えてください。
53名無しさん@おーぷん :2014/12/31(水)09:33:20 ID:N5N
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
Note: This sequence of illustrations ― Golden Dawn (1890), Crowley (1944), Waite
(1910), and Marseilles (1748) decks ― is followed throughout the text.
注記:この図版たちの順番 - ゴールデン・ドーン版(1890)、クロウリー版(1944)、
ウェイト版(1910)、そしてマルセイユ版(1748)のデッキたち - は、本文を通してずっと
続けられる。
--- ここまで ---

さて、この本の、タロットカードの本文の説明の前には、必ず4枚のカードの白黒写真の
図版が掲載されており、この文章は、その図版の注記となっています。

つまり、左から順に
1. ゴールデン・ドーン版タロット
2. トート・タロット
3. ライダー・ウェイト版タロット
4. マルセイユ版タロット
という順番で、4枚の写真が並べられているということですよね。

とはいえ、元々は、多色もしくはフルカラーのカードですので、できればオリジナルに近い
色合いのカードを手元に置いて、参考にしてもらう方が良いと思います。
つまり、
1. ゴールデン・ドーン版 = U.S.GAMES SYSTEMS社版
2. トート・タロット = U.S.GAMES SYSTEMS社版(できれば原寸のもの)
3. ライダー・ウェイト版タロット = U.S.GAMES SYSTEMS社版(通常のもの)
4. マルセイユ版タロット = 各社のニコラ・コンヴェル(Nicholas Conver)版
を買っておいてほしいということです。←ステマ中ww

ちなみに、カッコ付き数字は、制作年になりますが、いくつかフォローしておきます。

まず、ゴールデン・ドーン版の1890年というのは、当時はまだ「Tの書」が未成立であり、
カードデザイナーのミナちゃんも結婚直後であったため、ゴールデン・ドーンのオリジナル
のカードデザインは、まだ設計初期のα版段階というかラフスケッチに近いものであって、
それなりにデザインが固まったβ版として、その姿を現してくるのは、1890年代の前半と
いう感じになると思います。
ついでに言うと、ここに掲載されている写真は、1978年に発行された、ウォン氏の復刻版
のものであり、1890年代前半の、ミナちゃんオリジナルのものではありません。

あと、マルセイユ版タロットの1748年ですが、この写真のものは、ニコラ・コンヴェル版
と呼ばれている、現在最もポピュラーな古典的デザインのマルセイユ版タロットの復刻版
なのですが、実は、このニコラ・コンヴェル版については、色々な年代において、色々な
デザインのものが、発行されています。
つまり、マルセイユ版タロットと一口に言っても、実は色々なバージョンがあり、そして
マルセイユ版のニコラ・コンヴェル版と言っても、実は色々なバージョンがあるという、
実にややこしいことになっているので、ある程度の注意が必要です。
ちなみに、現在容易に入手可能なものは、ニコラ・コンヴェル(1760)版を元にした復刻版と
なっているようですが、この1760バージョンのものでも、この本では全く問題ありません。
54名無しさん@おーぷん :2015/01/01(木)06:21:43 ID:jhH
新年 あけましておめでとうございます m(_ _)m

昨年は、このスレ的には、割と平穏な一年になりましたね。(笑)
今年も引き続き、まったりと駄文を書き連ねていこうと思いますので、
今後とも、末永くのんびりと、お付き合いくださいませ。 (^_^)/
55名無しさん@おーぷん :2015/01/01(木)06:33:07 ID:jhH
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
THE ACE OF WANDS, Root of the Powers of Fire ([yod]).
棒のエース、「火」([yod])の力の根源。
--- ここまで ---

さあ、いよいよここから、この本で最初のタロットカードの解説に入ります。
トップバッターは、「棒のエース」です。

ちなみに、ここでは「棒」と単数形で訳していますが、英語では複数形となっています。
もちろん、トランプカードも同じように複数形ですので、本来は、
・ワンズのエース = クラブズのエース
・カップスのエース = ハーツのエース
・スォーズのエース = スペーズのエース
・ペンタクルスのエース = ダイアモンズのエース
と言うのが、正しいわけですが、まあ、そんなことはどうでもいいですよね。
なお、英語で「Ace of Diamond/ダイヤのA」と単数形で書いた場合は、全く違うジャンル
のものになりますので、ご注意ください。

さて、「The Ace of Wands/棒のエース」について、軽くおさらいしておきましょう。
まず、棒=火=アツィルト界であるので、このカードは、4つの世界のうちで最上位の
「生命の木」の「ケテル」に対応していることになります。
つまり、「小アルカナ」の領域においては、この「棒のエース」が、最も上位であり、
最も早いものであり、最も根源的なものと見ることが出来るわけです。
つまりこれは、宇宙創造そのものであり、「ビッグバン」の瞬間そのものである、という
ことにもなるわけですよね。

要するに、ここに図示されている4枚の「棒のエース」は、それぞれの作者が、それぞれ
独自の方法で、「宇宙創造」の根源的理論を象徴的な絵で表現したものなのです。

さて、皆さんには、そういう根源的なことが、しっかりと理解できているでしょうか。
まだよく理解できていない人は、今までのところを、おさらいしておいてくださいね。

なお、難しいカバラ理論なんかはどうでも良くて、カードの意味だけを知りたい人は、
この本の最後の方に、占いの意味がまとめて書かれていますので、御自分で訳して
好きに使ってください。
56名無しさん@おーぷん :2015/01/02(金)07:58:02 ID:Oc4
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
This card represents the primary outpouring energy of the universe.
このカードは、宇宙の最初の流出する精力を表している。

It is the Kether of Atziluth, the influence of Kether on the level of pure Spirit.
それは、「アツィルト」の「ケテル」であり、純粋な「精霊」の段階における「ケテル」の
影響である。
--- ここまで ---

「棒のエース」は、「小アルカナ」で象徴される、この我々の住む「宇宙」において、
一番最初に出現するもの、すなわち特定のものに「物質化」する以前の、始原的で純粋で
何にでも転換可能な「純エネルギー」、すなわち「精霊」と呼ばれるにふさわしいものと
なっています。

つまり、「火」とは、「四大元素」の中では最も未熟で未分化なものであり、それゆえに
秘められた大きな力と、無限の可能性を持つものでもありますが、それゆえ実践の占いに
おいては、実に厄介なシロモノでもあるわけですよね。
そもそも、「無限の可能性」なんでものは、その時点では単なる空手形であって、実際に
換金して利用可能になるかどうかは、まだ何もわからないわけですからね。

まあ、それはともかく、この後、4枚の「棒のエースたち」のネタ話が続くわけですが、
よくよく考えてみれば、これらは
4. マルセイユ版タロット(1748)
1. ゴールデン・ドーン版タロット(1890)
3. ライダー・ウェイト版タロット(1910)
2. トート・タロット(1944)
という順番で制作されていますので、普通であれば、この制作年代順に説明していくのが、
わかりやすいのではないかと考えるのですが、この本ではそうなっていません。

その理由は、この本が、一般的なタロット解説本ではなく、「The QABALISTIC TAROT/
カバラ主義のタロット」という「魔術カバラ」をメインとした本だからです。

つまり、「魔術カバラ」をネタにしてタロットを解説しようとすれば、その「primary
outpouring/最初の流出」と言えるタロットは「ゴールデン・ドーン版」であり、それに
続くものとして、より魔術っぽく過激に進化した「トート」や、どちらかというと先祖返り
して一般向けを狙った「ウェイト版」というバリエーションがあって、その一方で、元祖で
あり本家のタロット「マルセイユ版」は、この場においては、カードデザイン上の参考の
一つにすぎないという位置づけとなっているということです。

まあ、「マルセイユ版」は、そもそも「カードゲーム用」という「娯楽目的」がメイン
でしたので、本格的な「カバラ」の研究用途としては、ちょっともの足りないものがある
のも確かですからね。
57名無しさん@おーぷん :2015/01/03(土)07:56:04 ID:Ohs
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
In the Golden Dawn card an angelic hand holds what is basically an inverted root
of three sections (possibly influenced by the Tree of Life diagram published by
Fludd).
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、天使の手が、基本的に3つの部分の逆さにされた
根(ひょっとすると、フラッド氏により出版された「生命の木」の図解により影響された)
であるものを握る。

The ten root sections are painted with bands in the colors of the ten Sephiroth
in the Four Worlds.
10の根の部分たちは、「4つの世界」における10の「セフィロト」の色の帯たちで塗られて
いる。
--- ここまで ---

魔術学習用の教科書でもあるゴールデン・ドーンの「棒のエース」のデザインは、この
カードの魔術的な基本原理である、「アツィルト」の「ケテル」、すなわち、この我々の
住む「宇宙」における全ての源泉を象徴するにふさわしいものとなっています。
とはいえ、このマサース氏のカードデザインは、かなり独自というか、思いつきの部分が
多すぎて、色々とツッコミどころも満載となっているような感じです。

さて、天使の持つ「root/根」のような「魔術棒」の構造ですが、持ち手の部分は一本で
あって、それが3つの枝に分かれ、さらにその枝の先が、個々の「セフィロト」の「根」
の部分へと枝分かれしていくという構造になっています。
まとめると、
・左の枝「火、アツィルト界」
  ケテル(左下)、コクマー(中)、ビナー(上)
・右の枝「水、ブリアー界」
  ケセド(左上)、ゲブラー(中)、ティファレト(右下)
・中央の枝「空気、イェツィラー界、(地、アッシャー界)」
  ネツァク(左)、ホド(左中)、イェソド(右中)、(マルクト(右))
ということになっています。
つまり、この枝分かれによっても、「4つの世界」が表現されているということになります。

そして、各「セフィロト」の根は、それぞれ「4つの世界」の色の帯で塗られていますので、
セフィロトを勉強するのには、なかなか良い教材ですよね。
なお、どんな色に塗るのかは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fifth
Knowledge Lecture/第五知識講義」の「THE FOUR COLOR SCALES」を参考にしてください。

なお、「フラッド氏により出版された「生命の木」の図解」は、この本の31ページの図2の
Bに、ラフスケッチとして掲載されています。
この図が、このカードの魔術棒のデザインに似ているか、と言われれば、まあ似ていなくも
なくもないわね(←オトナの対応)程度のものですが、初心者のワタシには、いまいち良く
わかりませんでした。(←開き直ったオトナの対応)
58名無しさん@おーぷん :2015/01/04(日)06:34:16 ID:TRY
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
The sigils on the three parts are drawn from the Rose Cross Lamen,(*67) using the
letters [shin][aleph] (Aesch, Fire), [mem][yod][mem] (Maim, Water) and [cheth]
[vau][resh] (Ruach, Air).
3つの部分の印形たちは、[shin][aleph](アイシュ、火)、[mem][yod][mem](メイム、水)、
および[cheth][vau] [resh](ルアク、空気)の文字たちを使って、薔薇十字胸飾(*67)
から引き出される。
--- ここまで ---

ちなみに、(*67)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
67. This Lamen is illustrated in full color in The Secret Temple by Robert Wang,
New York 1980.
67. この胸飾は、ロバート・ウォン著、ニューヨーク、1980年発行の『秘密の神殿』の中に
フルカラーで図示されている。
--- ここまで ---
とあります。

この「Rose Cross Lamen/薔薇十字胸飾」ですが、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術
全書』の第三巻の「The Complete Symbol of the Rose Cross/薔薇十字完全象徴」の節に、
白黒の線画のイラストで紹介されています。
そして、ウォン氏の『The Secret Temple/秘密の神殿』の本の冒頭の挿絵には、この胸飾を
実際に作って、フルカラーで彩色したものの写真が掲載されていますので、そういうものに
興味のある方は、ぜひ見てあげてください。

で、この胸飾の中央部にあるヘブライ文字の文字盤を使って、文字を印形に変換するわけ
なのですが、この作業については『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の第四巻の
「Sigils/印形」の節で詳しく述べられています。
つまり、これを使えば、
・[shin][aleph](アイシュ、火)=左の枝=アツィルト界
・[mem][yod][mem](メイム、水)=右の枝=ブリアー界
・[cheth][vau] [resh](ルアク、空気)=中央の枝=イェツィラー界(アッシャー界)
というヘブライ語文字列から、印形パターンが生成できるということになります。

ということで、ワタシも色々と試してみたのですが、「棒のエース」の魔術棒の3つの枝に
描かれている3つの印形と、「薔薇十字胸飾」と上記の文字列から得られる印形のパターン
が、いまいち合致しないわけなのでした。

とりあえず、よくわかりませんので、よくわからないままで放置しておくことにします。
そのうち、物知りな人が、フォローしてくれることでしょう。←他人任せw
59名無しさん@おーぷん :2015/01/05(月)06:32:03 ID:dP3
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
The twenty-two Yods are the Paths on the Tree of Life.
22の「ヨッド」たちは、「生命の木」の「小径たち」である。

The Marseilles deck is probably the source of these Yods, although there the number
seems arbitrary.
マルセイユ版のデッキは、おそらく、これらの「ヨッド」たちの出所であるが、 そこでは
個数が任意であるように見える。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの「棒のエース」のカードには、赤い、すなわち「火」の色と形を
象徴する「ヨッド」たちが、計22個ちりばめられています。

この「ヨッド」たちの配置ですが、「"T"の書」では、「three fall below the Right branch
for Aleph, Men, and Shin, seven above the Central branch for the double letters;
and between it and that of the Right twelve: six above and six below about the
Left-hand branch./右枝の下に落ちる三つはアレフ、メム、シン(三母字)であり、中央
の枝の上部にある七つは複字を表し、そしてそれと右枝の間にある12個、左枝のあたりの
六つは上に、六つは下にある。」となっていて、このカードの実際の絵柄から見てみると、
何となくそれらの配置に違和感があるわけです。

カードデザインからすれば、中央の柱の上部にあるのが七複字で、その下の中央の枝の部分
にあるのが三母字で、左右の枝にあるのが十二単字のように見えるわけですよ。
ひょっとすると、「"T"の書」が書かれた頃の初期デザインのカードでは、ウォン氏の復刻版
デザインのものとは、若干違っていたのかもしれません。

まあ、それはともかくとして、この「棒のエース」に「ヨッド」を描くというネタ元は、
マルセイユ版からであるということは、ほぼ間違い無いと思われます。
とはいえ、マルセイユ版では、この「ヨッド」の数は22個ではありませんので、元々は
「生命の木の小径」の数とか、「ヘブライ文字」の数とか、そもそも「ヨッド」とは、
何の関係も無かったということも確かです。
つまり、まずはデザイン的にパクっておいて、意味を後付けした、ということですよね。

まあ、ゴールデン・ドーンのタロットには、こういったオチャメな魔術的小ネタ、いやいや
独自の魔術研究理論に基づく高尚かつ深遠なるデザインが、各所に見られます。
まあ、独自すぎるというか、玄人っぽさが過ぎて、あまり一般受けしないようなネタも
多々ありますので、そういう意味でも、一般的な占い向けのカードではないわけです。

とりあえず、このゴールデン・ドーンのタロットは、ゴールデン・ドーンの「魔術カバラ」
を勉強していく上での「教材」の一つとして捉えておいた方がいいと思うのでした。
ワタシも、このカードで占うことって、勉強目的以外では、まずありませんからね。
60名無しさん@おーぷん :2015/01/06(火)06:56:10 ID:LIg
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
The Waite card shows the club as living and bearing leaves, a reference which is
intentionally phallic.
ウェイト版カードは、生きたまま付いている葉たちとして棍棒を示しており、意図的に
男根を参照している。
--- ここまで ---

ウェイト版の本質は、遊技や占い用のマルセイユ版と、魔術カバラの研究用のゴールデン・
ドーン版の「いいとこ取り」という点にあります。
ただし、ウェイト氏は、遊技目的にはいまいち興味が無かったので、占い用をメインにして、
魔術カバラの要素を、分かる人には分かるように入れておくという形でデザインしています。
まあ、いわゆる「オトナの対応」もしくは「オトナの遊び」みたいな、割と洗練された感覚
なのですが、そういう「オトナの世界」や「メジャーブランド」を嫌う、ごく一部の宗教
じみた原理主義者の人からは、かなり激しいアンチ活動を受けているのでした。

さて、ウェイト版の「棒」の形ですが、パッと見にはマルセイユ版に近いように見えますが、
よく見るとゴールデン・ドーン版の特徴である3つの枝に、根元の方からそれぞれ3枚、3枚、
4枚という「セフィロト」を意図した「living and bearing leaves/生きたまま付いている
葉たち」があって、この棒自体が「生命の木」を象徴しているのが分かります。

さらに、この「棒」の先端がエロく膨らんでおり、これは「男根」というか「男性原理」を
象徴していることも明らかです。
つまり、この図は、宇宙創造を司る「生命の木」の○○○が、天使の手によって○○○され、
○○○の先っぽから、葉で象徴される「ヨッド=火」である「純粋精力」が、この宇宙の
膣内に射精され、大地を産み出しているということになるわけです。←なぜか変換がおかしい
つまり、この○○○の「受け手」となる「女性原理」は、「地」である「五芒貨のエース」
ということになるわけです。
まあ、「五芒貨のエース」は「総受け」状態ですので、とりあえず全部この膣内に射精て
おけばいいということなのでした。

ところで、この○○○、いやいや「棒」を握る天使の手が、ゴールデン・ドーン版は左手で
あり、ウェイト版(マルセイユ版)は右手であることに気づいた人はいますでしょうか。

基本的には、このような重要な「棒」を握る手は、右手であるのが普通だと思います。
「"T"の書」には、右手とか左手とかは記載されていませんし、特に左手である必要は薄いと
思われるのですが、なぜかゴールデン・ドーン版では、左手が多用されているわけです。
おそらく意図的に左手を使ってデザインされているとは思うのですが、理由が良くわから
ない上に、それなりの違和感があるわけですよ。

もしも、それっぽい理由を知っている人がいましたら、ぜひ教えてくださいませ。
61名無しさん@おーぷん :2015/01/07(水)06:54:23 ID:Dfw
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
Crowley's Ace abstracts the flaming Yods into the form of the entire Tree of Life,
thus continuing the Golden Dawn symbolism of the Ace of Wands as the source of All.
クロウリー版の「エース」は、完全な「生命の木」の形態の中に燃えるような「ヨッド」
たちを抽象化しており、このように、「全てのもの」の源泉としての「棒のエース」という、
ゴールデン・ドーンの象徴主義を継続している。
--- ここまで ---

トート版の場合は、割と「見たまま」というか、とても素直に、「火=アツィルト界」に
おける「生命の木」を抽象的に描いていますので、特に何の説明も不要かと思います。

つまり、トート版の「棒のエース」は、ゴールデン・ドーンの魔術カバラ的タロット理論、
すなわち、「棒=火=アツィルト界」における「ケテル=全ての源泉」の「棒=生命の木
を象徴するもの」を、そのまま絵に描いてみたようなものであるということです。

ゴールデン・ドーン版とウェイト版が、(わかる人だけに分かるように)若干のヒネリ技
と神秘ネタを加えて描かれているのに対して、トート版の方がストレートな表現であって、
そういう意味では、ワタシのようなひねくれ者にとっては、いまいち面白みに欠ける点でも
あります。
これはおそらく、ハリス女史の、芸術と学問に対する真面目な性格によるものと思われる
わけですが、あまりにも芸術性に走ると、ネタ的には、いまいちおいしくないわけです。
要するに、妄想ネタにするのなら、芸術性の高い裸婦像よりは、遊び心満載でネタに走り
まくりの二次元エロ画像の方が実用性が高いというようなものですよね。

まあ、何が言いたいかというと、「棒のエース」に関しては、トート版のようにモロに
おっぴろげて描くよりは、ゴールデン・ドーン版とウェイト版のように、一応隠しておく
ふりをしておいて、裏で色々と妄想ネタを盛っているというマニアックな手法の方が、
ワタシとしてはエロさを感じるということなのですよ。←これが結論w
62名無しさん@おーぷん :2015/01/08(木)06:45:18 ID:L1L
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
Here it may also be observed that the entire Tree is a glyph of the power of Fire,
when manifestation is symbolized as the [heh][vau][heh][yod] , permeated by [shin] .
ここではまた、顕在化が[heh][vau][heh][yod]として象徴される時には、完全な「木」が
[shin]により浸透される「火の力の象形文字」であることが観察されるかもしれない。

Yod and Shin are, to some extent, used interchangeably.
「ヨッド」と「シン」は、ある程度まで、同じように使われる。
--- ここまで ---

「棒のエース」は、「火」を象徴しますので、聖四文字で火の属性を持つ「ヨッド」と、
三母字で火の元素に配属される「シン」のヘブライ文字が、カードデザインに反映されます。

ゴールデン・ドーン版では、三つ又の棒が「シン」に対応し、22の「ヨッド」が散りばめ
られています
トート版では、10の火炎状の「ヨッド」が、それぞれ上部(ケテル、コクマー、ビナー)、
中部(ケセド、ゲブラー、ティファレト)、下部(ネツァク、ホド、イェソド)において、
3つの「シン」の文字を形成しているのがわかります。

なお、ウェイト版では、「ヨッド」や「シン」は、明確には描かれていません。
もちろん、ウェイト氏が、「ヨッド」や「シン」などの「ヘブライ文字」の持つ意味を
知らなかったということではないわけで、一応知ってはいるけど、一般人向けに、あえて
「ヘブライ文字」の見える形での使用を避けたという感じで、巧妙にデザインされている
わけです。

ゴールデン・ドーン版は、基本的には「ゴールデン・ドーン」という魔術団体内部で利用
される機密事項に属するものであり、そしてそもそも教育・研究用のものでもあるので、
カードの表現上で、何かを隠しておくという必要性は基本的にありません。
それに対して、ウェイト版は、商業的に一般公開されるものですので、ある程度までは
魔術団体において特定機密事項となっている「神秘教義的なもの」を隠しておくという、
道義上、もしくは商売上の配慮というものが必要とされるわけです。
つまり、魔術知識の無い一般人にとっては、○○○まる見えでは、逆に困惑するわけであり、
そういう意味でも、ミニスカ&ニーソで、絶対領域のみを見せるような、何となく自粛的な
配慮をしたふりをしてチラリを期待させるという、割と脳内妄想が捗る方向へと誘導する
テクニックを使うと、一般向けに対しては、よりエロく見えるというようなものなのです。

まあ、何が言いたいかというと、ウェイト版は、「ヘブライ文字」のモロ出しだけで満足
してハァハァできるような「魔術の上級者」向けではないということです。
それよりも、もうちょっと別の意味での「オカルト」、つまり大事な部分が隠されている
からこそエロさも倍増するという、「フェチ層向け」のものなんですよね。
そして、そのスカートをめくりたい、いやいや、ヴェールに隠されている神秘のものを
見てみたいと思うのであれば、その元ネタとなっているゴールデン・ドーン版への理解が、
どうしても必要とされるのでした。
つまり、ウェイト版というのは、実はこういう「隠れエロ層」、いやいやオカルトや魔術に
興味を持つ者に対する一種の釣り餌でもあるということであり、そしてこのフェチなカード
から、オカルトや魔術にハマる人も、それなりに多いというわけなんですよね。
63名無しさん@おーぷん :2015/01/09(金)06:49:20 ID:e5X
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
THE ACE OF CUPS, Root of the Powers of Water ( [heh] ).
杯のエース、「水」([heh])の力の根源。
--- ここまで ---

「棒=火」の次は、「杯=水」のカードです。

宇宙創世においては、最も純粋で高エネルギー相である「棒=火=アツィルト界」の次に
出現する、少しエネルギー準位の下がった段階の「杯=水=ブリアー界」の相となります。

ちなみに、「生命の木」の4つの世界である「アツィルト界」「ブリアー界」「イェツィラー界」
「アッシャー界」は、それぞれ排他的な存在ではなく、同時並行的に存在しています。
つまり、最下層の「アッシャー界」の「マルクト」に住む我々から見れば、全ての次元と
全ての相のものが既に存在している状態になっているわけであり、それらが最初に創造
された頃のことについては、我々としては推測する以外に手は無いということになります。

どういうことかと言うと、要するに「火=アツィルト界」「水=ブリアー界」「空気=
イェツィラー界」「地=アッシャー界」という出現の順番は、我々にとって見れば、割と
どうでもいいことなんですよね。

我々が知っておくべきことは、そういう推定順番や脳内順位ではなくて、我々の世界に
平行して存在し、そして我々の世界を構成している「アツィルト界」「ブリアー界」
「イェツィラー界」「アッシャー界」のそれぞれの性質と、その利用法なわけです。

そう、過去のことよりも、現在、そして未来の方が、我々にとっては大事なのですよ。

とはいえ、最下層の我々から見れば、どの「エース=ケテル」も、エネルギー準位が
高すぎて、そう簡単に手に負えるような存在でもないんですよね。
基本的には、「エース」って、これから何が起こるのかを、指をくわえて見ているしか
ないという、割と大アルカナ的な面がありますからね。
そういう意味では、占いにおいては、かなり扱いづらいカードでもあるわけなのでした。
64名無しさん@おーぷん :2015/01/10(土)06:53:55 ID:VLj
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
The Ace of Cups is Kether in Briah, the influence of Kether on the mental level.
「杯のエース」は「ブリアー」の中の「ケテル」であり、精神的な段階における「ケテル」
の影響である。

This is an all-encompassing Maternal Force, symbolized by Water which in the Golden
Dawn and Waite cards pours dynamically from the Cup, but becomes calm and stable
beneath.
これは、あらゆるものを包み込む「母性の力」であり、ゴールデン・ドーン版とウェイト版の
カードにおいては、「杯」から動的に流れ出る「水」により象徴されるが、下では穏やかで
安定になる。
--- ここまで ---

「Y:ヨッド/火/棒」「H:ヘー/水/杯」「V:ヴァウ/空気/剣」「H:ヘー/地/五芒貨」
には、それぞれ「男性」と「女性」という、2ビットのバイナリ属性が付けられています。
つまり、
・「Y:ヨッド/火/棒」=男×男
・「H:ヘー/水/杯」=男×女
・「V:ヴァウ/空気/剣」=女×男
・「H:ヘー/地/五芒貨」=女×女
ということです。
要するに「杯」というのは、表面的には「女性性」を持ちながら、内面では「男性性」をも
兼ね備えるという、つまり巨乳でありながらもボクっ娘というような、二面的な特性を
持っているということになるわけです。
まあ、口も手もおっぱいも出す、肝っ玉「母ちゃん」的な感じですかね。
いずれにしても、その内面には、「父ちゃん」ゆずりの無限大に限りなく近いパワーを
備えているので、見た目以上に「精神的に広い」カードとなっているわけです。

あと、いまいち何を言いたいのかよくわからない「Spirit/精霊」的な「大いなる父ちゃん
=棒のエース」とは違って、より我々に近い「mental/精神」的な「大いなる母ちゃん」
みたいな存在ですので、そういう意味でも、何となく頼りがいがあるように感じるという
のも確かです。

そもそも、「ハートのエース」のカードを嫌う人は、ほとんどいないですからね。
とはいえ、このカードは、恋愛うんぬんというよりも、精神的な潤いと充足という方面で
活用するのが良いと思います。
本人の内なる気が枯れていては、他人を惹き付けるフェロモンを出すことは出来ないです
からね。
そういう意味でも、内面が男で外面が女というのは、おそらく史上最強の組み合わせ技
ではないかと思うのでした。

まあ、ワタシ的には、男の娘でもボクっ娘でも、どっちも好きですけどね。←節操無しw
65名無しさん@おーぷん :2015/01/11(日)09:30:46 ID:lr2
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
The Golden Dawn represents the unfolding of Divine Consciousness with the Lotus
colored red to suggest that the origin of this consciousness is in Fire.
ゴールデン・ドーン版は、この意識の源泉が「火」にあることを示唆するために、赤く
色づけされたハス(の花)によって、「神の意識」の展開を表している。
--- ここまで ---

「杯のエース」から吹き出す「水」の元素の源流には「火」の要素も若干あって、その
「火」の性質が「水」の中にも若干含まれているので、ハスの花が赤く色づいている
ということですよね。

つまり、「ケテル」の「Divine Consciousness/神の意識」という「無限大の、折りたた
まれた神秘エネルギー」が、「神」→「神・火」→「神・火・水」→「神・火・水・空気」
→「神・火・水・空気・地」へと次々と広がりながら「unfolding/展開」されていくと
いうことになっているわけです。

さて、このゴールデン・ドーン版のデザインでは、カップから噴射された水が、上方に
ある、四股を踏んだ「ヘー」の股間にブチ当たってウォシュレット状態になっているよう
にも見えますが、このヘブライ文字の「ヘー」は、二番目に位置するものですので、股間
ではなく、Bカップ、いやいや胸の部分に相当します。
つまり、杯の部分が子宮で、台座が膣の位置に相当し、その膣内に下から神の手で象徴
される○○○が挿入されて○○○しされ、その○○○が胸の位置の「ヘー」で二手に分か
れて、左右に分かれて二筋の母乳として、外界に流下していくということになります。

ちなみに、「杯」を持つ神の手の肌の色が、「棒」を持つ神の手の肌の色と異なっている
ことに気づいた人はいますかね。
こういう細かなデザインの違いに気づくのも、ゴールデン・ドーンの魔術理論の持つ繊細な
芸術性を知る上でも、割と重要なのでした。
66名無しさん@おーぷん :2015/01/12(月)06:57:16 ID:ekP
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
Waite, on the other hand, shows the Cup as the perfection and formalization of the
[heh][vau][heh][yod] evolving toward matter.
ウェイト版は、その一方で、物質に向けて進展している[heh][vau][heh][yod]の完璧さと
形式化として、「杯」を表している。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版は、基本的に「火」→「水」という流れであり、「杯のエース」も
割とシンプルなデザインでしたが、ウェイト版では、その重要さが逆転するのが特徴です。

つまり、ウェイト版の「杯のエース」は、色々とネタがテンコ盛りで、デザイン的にも
豪華な盛りつけ具合になっており、ウェイト版の「棒のエース」の地味さと比較すれば、
「杯のエース」の優遇ぶりは、一目瞭然となっているわけです。

で、何でこんなに「カップ推し」になっているのかというと、ウェイト氏が巨乳の女好き
ということでもなく、ピクシーたんが巨乳だったということでもなくて、まあ要するに、
ウェイト氏は、カプメン、いやいや「カップ」について色々と言いたいことが山ほどある
という、いわゆるカップヲタクというかカップフェチという人種であったからなのです。

ウェイト氏は、根っからのオカルトヲタクですが、同じオカルトヲタクのマサース氏と
ミナちゃんのコンビとは、いまいち相性が良くありませんでした。
その大きな理由の一つとして、「宗教観」というものがあるわけです。

つまり、ゴールデン・ドーンは、基本的に「非宗教」であり、「神」や「聖四文字」は、
信仰の対象としてではなく、あくまでもカバラ魔術理論の一環であるという立場だったの
ですが、ウェイト氏は、根っからの「キリスト教ヲタク」であったということです。
そもそも、ウェイト氏がオカルト方面に走った理由の一つが、この宗教ヲタク性であった
わけで、既存の腐敗しきった教会組織や宗教理論に嫌気がさして、もっと純粋に宗教を
追い求めようとした結果が、これ・・・、すなわち「オカルト」であったということです。

さて、話を戻しますと、キリスト教においては、「棒」よりも「杯」の方が、より重要と
いうか興味深いネタが色々とあるわけです。
その一つは、「聖体拝領」に使われる「聖杯」であり、ぶどう酒を入れた聖杯と、白鳩が
くわえたホスチア(薄いパン)=聖体が、この絵の中に描かれています、
これは、『新約聖書:マタイ福音書』26:26-28にある「最後の晩餐」のシーンにおいて、
イエスの聖なる血と肉を象徴するものとなっています。
そしてもう一つのネタは、十字架上で処刑されたイエスの血を受けた「杯」と言われている
ものです。
これらの「聖杯」は、後に「聖杯伝説」ネタとして、様々な神秘ストーリーの中で使われる
ようになり、中でも「アーサー王伝説」に出てくる「聖杯」の物語は、有名ですよね。
ということで、あれやこれやと色々あって、ウェイト氏は、「カップ推し」なわけですよ。

ちなみに、このウェイト版の「杯のエース」からは、5本の水流が流れ落ちていますが、
公式解説書である「The Pictorial Key to the Tarot」の「杯のエース」の項目には、
なぜか「four streams are pouring/4つの水流が流れ出している」と書かれています。
つまり、[heh][vau][heh][yod]の「四大元素」の流れ以外に、もう一つ「one more thing」
が、この絵の中だけに「隠されている」ということに気づいた人は、いますでしょうかね。
67名無しさん@おーぷん :2015/01/13(火)06:52:14 ID:Bx0
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 57) ---
The twenty-six drops of water coming from the Cup mean the [heh][vau][heh][yod],
a number derived by Gematria as we will later demonstrate.
「杯」から生まれる26の水の雫たちは、[heh][vau][heh][yod]を意味しており、我々が
後ほど説明をするであろう「ゲマトリア」により導き出された数である。
--- ここまで ---

繰り返し言いますが、ゴールデン・ドーンは、基本的に「非宗教」の魔術理論です。
つまり、「ヘブライ文字」を記述言語とし、古代エジプトの神をモチーフとした上で
ヘルメス哲学を取り込んだ「カバラ理論」をメインに置いています。
要するに、マサース氏の理論は、俗世離れした「数学理論」に近いものです。

その一方で、ウェイト版では、ゴールデン・ドーンでは意図的に排除された「キリスト教」
の神学理論を、大胆に復活させて、リニューアルしています。
この理由は、ウェイト氏が「キリスト教ヲタク」であったことも一因ですが、このことは
商業的に見ても、大きなメリットがありました。
つまり、キリスト教の神秘主義的な教えに慣れ親しんだ、英米キリスト教圏の一般庶民に
とって、結果的には、とてもわかりやすくて、かつ斬新な象徴絵となっているのです。

確かに、古代エジプトの神の姿は神秘的であり、当時の流行の最先端ではあるのですが、
一般庶民にとっては、生まれた頃から慣れ親しんだキリスト教の教えの方が、やっぱり
とっつきやすいというのも確かなのですよね。

結果的に、この英米キリスト教圏の一般庶民にとっての「わかりやすさ」が、ウェイト版
の世界的な大ヒットに繋がるわけですが、困ったことに、日本においては、キリスト教は
メジャーな宗教ではないわけで、そのために、初心者向きで、わかりやすいと言われている
ウェイト版でさえ、きちんと理解されないままで使われているのが現状なんですよね。

それはともかく、ウェイト版では、表面的には「キリスト教神学理論」がメインであって、
ゴールデン・ドーンの魔術理論は、巧妙に「暗示」されているわけです。
つまり、ウェイト版の「棒のエース」の「生命の木」は地味に暗示されていたのですが、
「杯のエース」でに描かれている「聖体」と「聖杯」は、白鳩で示される精霊/天使と
「聖四文字」神の寵愛を受けて誕生し、この世に「神の愛」を降り注ぐという、つまりは
「受胎告知」のシーンを象徴的に描いてみたということであって、おそらくウェイト氏は
相当の思い入れを持って、従来のデザインと解釈からは、大胆にタロットのシンボルを
改変させているのでした。
でも、こういうキリスト教要素を取り込んだ庶民向けの改変は、純魔術系の人にとっては、
ウェイト版は使いにくいというデメリットにもなっているようですね。

ちなみに、[heh][vau][heh][yod]のゲマトリアについては、今さらではありますが、
 [heh]:5 + [vau]:6 + [heh]:5 + [yod]:10 = 26
ということになっています。
68名無しさん@おーぷん :2015/01/14(水)07:01:13 ID:DKe
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
The Dove here is a symbol of Venus as the Great Mother, beneath which is the circle
and equal-armed cross of the earth which she produces.
ここでの「鳩」は、「太母」としてのビーナスの象徴であり、下にあるものは、彼女が
産出する地球の、円と等しい腕の長さの十字である。
--- ここまで ---

ここの「Great Mother/太母(グレートマザー)」は、ユング心理学の元型を表すもの
というよりは、むしろ古代神話の「大地母神」を意味しています。
つまり、ビーナスに代表される古代の「大地母神」には、多くの場合に「白鳩」がモチーフ
として用いられているのです。
とはいえ、ウォン氏は、芸術家であり心理学者でもありますので、両方の意味を兼ねている
と考えた方がいいですかね。
あと、地球を表すシンボルの「丸十字」は、占星術でも使われているように、ごく一般的な
モチーフとなっています。

ちなみに、ここのウォン氏の解釈は、ワタシとは異なっています。
ワタシの場合は、これを「キリスト教」的に解釈しているわけです。

「鳩」は、キリスト教においては、『旧約聖書:創世記』のノアの箱舟の話にあるように、
良い知らせをもたらす「幸せの伝書鳩」としての象徴になっています。
そして、『新約聖書:ルカによる福音書』のマリアの受胎告知の話に出てくる「聖霊」を
表すものとして、宗教画においても、よく使われるモチーフでもあります。

つまり、ここの「鳩」は『新約聖書:ルカによる福音書』の「聖霊」であり、「丸十字」
は「聖者」すなわちイエスの種であり、そして「杯」は聖母マリアを表すものと解釈して
いるわけです。
ついでに言うと、このシーンは理論上は「処女懐胎」であるわけですので、ここには我々の
求める「エロ」さは一切存在しないというわけであり、その手のものは、総受けである
「五芒貨のエース」に期待しなさい、ということでもあるわけですよね。

やれやれ、まだまだ先は長いですねぇ・・・。←なにがだww
69名無しさん@おーぷん :2015/01/15(木)07:01:32 ID:URX
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
This symbol was incidentally, adopted by Dion Fortune to represent her Society of
the Inner Light.
ちなみに、この象徴は、ダイアン・フォーチュン氏により、彼女の「内光協会」を表現する
ものに採用された。
--- ここまで ---

この「白鳩と丸十字と聖杯」の組み合わせは、ダイアン・フォーチュン氏が実質的に設立し、
運営していた「内光協会」のシンボルマークとなっているということです。

ちなみに、この「Society of the Inner Light(S.I.L.)/内光協会」の簡単な歴史ですが、
元々アレ気味であったのにオカルトにハマったフォーチュン氏は、ひとしきりゴールデン・
ドーン系魔術の勉強をした後、ミナちゃんと大ゲンンカして、1922年頃に数人の仲間と共に
「the Christian Mystic Lodge of the Theosophical Society/神智学協会キリスト教神秘
主義ロッジ」という、神智学とキリスト教神秘主義をベースとした団体を設立しており、
その後それは「The Fraternity of the Inner Light/内光友愛会」、そして「Society of
the Inner Light/内光協会」へと名前を変えて、現在でも細々と活動を続けています。

まあ要するに、ウェイト氏の発案した「杯のエース」の「鳩と丸十字と聖杯」の組み合わせ
は、キリスト教神秘主義に共通した神秘ネタでもあるということです。

ちなみに、S.I.L.とよく似たS.O.L「Servants of the Light/光の侍従」という魔術団体も
現存していすが、こちらは「内光協会」に所属していたバトラー氏(W. E. Butler, 1897-1977)
が「内光協会」から独立して設立した団体で、こちらの方がゴールデン・ドーン系魔術に
近いものとなっているようです。
70名無しさん@おーぷん :2015/01/16(金)11:04:35 ID:YKM
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
Crowley's version of the card emphasizes the wave action characteristic of physical
water, but here meaning the activity which encloses and directs pure consciousness.
クロウリー版のカードは、物理的な水に特徴的な波の動きを強調するけれども、ここでは、
純粋な意識を同封し、指導するという活動を意味している。
--- ここまで ---

トート版のカードは、一見して、いろいろとわけのわからないものが詰まっています。
一番の謎は、クロウリー氏の「The Book of Thoth/トートの書」の記述と、ハリス夫人の
タロットの絵柄が、全く食い違っていることです。
おそらく、ハリス夫人が制作した様々なバージョンの中には、「トートの書」にあるような
「杯の上方から、聖霊の鳩が下りてこようとしている。」というような、ウェイト版の
丸パクリのようなものも存在したといことなのでしょう。

さて、「wave action characteristic of physical water/物理的な水に特徴的な波の動き」
という説明がありますが、杯の上部にあるのは、放射状の棒に掛けられたヴェールみたいな
何かのように見え、水の波とは異なるように思われます。
また、杯の下部には、水が染み落ちるような動きであり、これも水の波とは異なるように
見えます。

そして、杯の上面で、上の世界と下の世界が全く違う世界であり、上位世界はヴェールで
隠された「非顕現の世界」、そして下位世界は水の染み出しという表現で流出する「意識
あるいは生命のエネルギー」のような感じになっています。
つまり、ここに描かれた「杯」は、神世界と我々の世界を中継するための、「女性原理の
ケテル」の働きを表しているということになります。
そういう意味では、「トートの書」の記述よりも、ハリス夫人の絵の方が、ダイレクトで
わかりやすい感じがしますよね。

確かに、人が人として物理的に誕生する場所は、このカードの「杯」に象徴的に描かれた
「子宮」という「母」なる聖地であり、我々は皆、二本の卵管からの卵子と、下方にある
膣内に射精された精子と受精し、そして上位世界から「聖霊」という魂を授かって、この
世に「人の子」として生まれ落ちるということになるわけです。
ハリス夫人の絵には、そういう「人の母」から見た生命誕生のドラマが、この幾何学的な
図の中に込められているということなのですよね。

さて、ウェイト版の「杯のエース」は、基本的には「聖母マリア」と「神の御子イエス」の
キリスト教の「聖母子の受胎告知」というストーリーを描いていたのですが、トート版では、
より普遍的な「母と子の受胎告知」というものをテーマとしているわけで、人の母親である
ハリス夫人の強い思いが、クロウリー氏の「トートの書」にある男性から見た原理の記述を
上回って、こういう絵柄になったということではないかと思ったりするのでした。

でも、そのおかげで、このトートの「杯のエース」の絵柄は、そういう解剖学的な生々しさ
が各所に見られるわけで、見る人によっては、グロテスクに見えたりすることもあります。
でも、ハリス夫人のそういう「女性の生々しい絵」には、建前ではない、女として、そして
母としての、力強い本音のパワーが込められているのも確かなのですよね。

つまり、トート版って、エロいように見えて、実は全くエロさは感じないわけですよ。
ワタシとしては、そういうところが、いまいち気に入らないということでもあるわけです。
71名無しさん@おーぷん :2015/01/17(土)06:35:29 ID:00b
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
The Cup emerges from the Lotus itself.
「杯」は、「ハス」自身から出現する。
--- ここまで ---

トート版では、「杯」の下にあるのは「Lotus/ハス」です。
その一方で、ゴールデン・ドーン版では「Lotus and water lilies/ハスとスイレン」で
あり、ウェイト版では「water-lilies/スイレン」とありますが、どちらも日本で言う
ところの「スイレン」になります。
ついでに言うと、「ハス」は東洋のインド原産であって、キリスト教とは縁が薄いのですが、
「スイレン」はキリスト教圏にも古代エジプトにも普通に見られるものであり、様々な
モチーフとして利用されています。
つまり、他の版には無い特徴である、このトート版の「ハス」の花の選択は、おそらく
クロウリー氏の「東洋趣味」と、ウェイト版の西洋的な「スイレン」に対抗した結果です。

さて、この「ハスの花」ですが、日本においては「蓮華(レンゲ)」として、仏像の下の
台座のデザインとして、よく用いられているものです。
何で仏像の下に「蓮華」があるのかと言うと、それは「蓮華」は「蓮根(レンコン)」の
埋まっているドロドロの下界の沼地から天空に向かって立ち上がり、幻想的で美しい大輪の
花を咲かせるからであり、それがとても神秘的であるということなんですよね。

つまり、トート版の「杯=子宮」自身は、「蓮華」に乗った「仏の姿」そのものであり、
この「蓮華」は、我々の住むドロドロの汚濁した(男のいる)下の世界と、天界にある
「聖杯=女性」とを隔てているものと見ることも出来ます。

まあ、突き詰めて考えれば、この絵は、とことん女性上位の思想体系を象徴化したものでも
あるわけですが、おそらくあのクロウリー氏を家庭教師に雇うほどのハリス夫人の絵の
根底にあるのは、そういう性質のものではないかと思ったりするのでした。
つまり、「Lotus/蓮」や「water-lily/睡蓮」のモチーフは、「lily/百合」の世界の話と
似たようなものということなんですよね。
要するに、しょせん「俗なる男ども」には理解できない世界の話であって、ハリス夫人の
トート版タロットの象徴体系は、クロウリー氏の「トートの書」に書かれているものとは、
おおよそ別の世界というか別次元のものであるということでもあるわけですよ。

でもまあ、そういう意味でも、このトート版タロットは、世間からは色々と誤解されて
解釈されていることが多いんですよね。
そもそも、ワタシ自身も、全くもって理解不能なシロモノですからねぇ。
72名無しさん@おーぷん :2015/01/19(月)06:37:49 ID:Hyr
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
The Marseilles Ace is the most basic of the three versions, and appears to be nothing
more than a simple chalice.
マルセイユ版の「エース」は3つの版たちの最も基礎となるものであり、そして単純な聖杯に
すぎないものに思われる。
--- ここまで ---

さて、Aカップのトリ、いやいや「杯のエース」の最後に登場するのは、マルセイユ版です。

このマルセイユ版エースのカードのデザインは、極めてシンプルなものになっています。
他のゴテゴテしたものとは違って、まさしく「聖杯」のみ、なんですよね。
つまりこれは、このマルセイユ版「杯のエース」は、混じりっ気なしの100%「聖杯」だけ
で構成されるのであって、他の装飾要素は一切不要であるということです。
逆に言うと、この「聖杯」そのもののデザインこそが、他のものとの差別要素になっている
ということなんですよね。

実際のところ、マルセイユ版と呼ばれるタロットは複数あるのですが、それぞれに特徴的な
「聖杯」のデザインとなっており、このニコラ・コンヴェル版では、教会建築型の蓋を持つ
デザインが特徴の一つとなっているということでもあるわけです。

さて、この「聖杯」のデザインですが、おそらくはキリスト教会の正餐(聖体拝領の儀式)
で使われる、聖体を入れておくための「ciborium/聖体器」のデザインを参考にしたもので
あると思われます。
ウェイト版の「杯のエース」も、基本的には、この流れを踏襲しているようです。

ちなみに、マルセイユ版とウェイト版の「杯の女王」にも、「聖体器」のデザインを持つ
「杯」が描かれています。
つまり、この「杯」は、おそらく「聖母マリア」と何らかの関係があると推定されるわけ
であり、その場合は、この「杯のエース」は「聖体」、すなわち復活したイエス・キリスト
自体を象徴するものとなるわけです。
まあ、「愛」を説くのがキリスト教の本来の姿ですので、そういう解釈もアリなのでは
ないか、とも思うのでした。

つまり、Aカップぐらいであれば、どちらでも解釈可能ということであり、それゆえに
変態紳士たちの妄想の幅が広がるということでもあるわけです。
実際のところ、オカルトの本分は、「肝心な部分は隠しておく」ことと「どうにでも解釈
可能である」という点なんですよね。
つまり、見る人自身が、オトコかオンナかを好き勝手に決めつけておいて、イチャコラ妄想
を垂れ流すというのが、オカルトのあるべき姿なのですよ。←完全に開き直りww

まあ、「見た目には惑わされるな」というのが基本であって、そういう意味でも、
このAカップの真の正体が何者であるのかは、実に混沌としているというワケなのでした。

というか、実際のところは、ワタシにも良くわかんないんですけどね。(滝汗)
73名無しさん@おーぷん :2015/01/20(火)06:51:04 ID:rnv
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
Yet the suggestion of Gothic architecture tells us that what is intended is The
Church, as Holy Mother.
にもかかわらず、ゴシック建築様式の暗示は、我々に、意図されているものは「聖母」と
しての「教会」である、ということを告げる。

In the fourteenth century the Virgin Mary was often referred to as the Church itself,
the very building which enclosed the faithful.
14世紀においては、「処女マリア」は、しばしば、まさに忠実な信徒を囲い込む建物である
「教会」それ自身として参照された 。
--- ここまで ---

「Gothic architecture/ゴシック建築様式」は、12世紀後半の頃からルネサンス期までの
間に、フランスを中心に西ヨーロッパ圏で流行した、主にキリスト教の教会や修道院に
見られる建築様式であり、外観的には、高くてツンと尖った塔を持つことが特徴です。

代表的なものは、12世紀後半から13世紀前半にかけて建てられたパリのノートルダム大聖堂、
すなわち「聖母マリア」を意味する名前を付けられた教会です。
この「ノートルダム」のように、「聖母マリア」を意味する名前を付けられた教会は世界
各地にあり、聖母マリアが神格化されているカトリックでは、「イエス・キリスト」よりも
「聖母マリア」の方が人気が高いようにも見えたりするわけですよ。
この場合、この教会の高くて尖った部分は、女性の丸く突きだした部分のエロさを象徴して
いるものと、オカルト的には解釈されるわけであり、いわゆる(童貞の修行者には比較的
多いと思われる)隠れ巨乳フェチの求めに応じて、教会や修道院の塔は、より高く立派に
そびえることになったということなのでしょう。
ちなみに、「ノートルダム」をラテン語読みにすると、予言書で有名な「ノストラダムス」
となったりします。←どうでもいい豆知識w

なお、「Virgin Mary/処女マリア」という称号のために、マリアは一生処女であった
という誤解、というか、そういう強引な解釈もありますが、聖書に記載されているのは、
あくまでも「処女懐胎」、つまりイエスを産むまでは処女であったというだけで、その後
マリアは4人の子供を設けていたことが、聖書には記載されています。(『新約聖書:
マタイによる福音書』13:55、『新約聖書:マルコによる福音書』6:3)
さらに、イエス自身は、母や兄弟に対しては、割と冷たい態度を取っていることも記載
されているわけです。(『新約聖書:マルコによる福音書』3:31)
まあ、マリアから見れば、イエスは新興宗教にハマった親不孝で不肖の息子であるわけなの
ですが、それでもまあ「出来の悪い子ほど可愛い」ということもあって、なぜか母性本能を
くすぐられることもあり、結果的に、マリア自身も尊敬に値するというか、崇拝の対象と
なっていったということではないかと思うのでした。←根拠無し

でもまあ、オカルトや宗教の世界に限らず、「処女伝説」というものは、熱狂的な童貞の
崇拝者にとっては普遍的なネタであるわけですので、厨二病をこじらせた一部のヲタク以外
の人は、そういう細かなところにはツッコまないというのが、いわゆる「お約束」なのです。

というわけですので、一般人である皆さんは、聖母マリア様を「中古」扱いすることなく、
今まで通りに「聖処女マリア」として信仰していってくださいませ。
74名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)06:55:31 ID:D4y
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
That symbolism is completely consistent with the meaning of the Ace of Cups.
その象徴的意味は、「杯のエース」の意味と完全に一致している。
--- ここまで ---

タロットの「杯」に相当するトランプカードの「ハート」は、宗教者階級を象徴するもの
とされています。
つまり、トランプカードと同じ流れを汲むタロットの小アルカナの「杯」にも、そういう
意味が含まれているということでもあります。

とはいえ、「杯のエース」が、描かれている宗教者階級の象徴である「教会」と関係して
いるのは一目瞭然なのですが、それが「Gothic architecture/ゴシック建築様式」という
根拠だけで、いきなり「聖母マリア」へと関連付けるのは、いくら何でもムチャ振りと言う
ものですよね。

そもそもキリスト教における「聖杯伝説」は、「聖母マリア」とはほとんど接点が無く、
どちらかと言うと、イエスの妻説のある「マグダラのマリア」の方と密接に絡んでいます。

もちろん、後代になってから「教会組織」の都合により神格化されアイドルデビューした
「聖母マリア」の方が、「聖杯」としての宣伝効果は高い、つまり「聖母マリア」ブランド
の「Aカップ」の方が売れ筋だとは思うのですが、オカルト的な視点からすると、そういう
アイドル活動的なプロモーションだけでは、いまいち物足りないわけですよ。

要するに、何が言いたいのかと言うと、「杯のエース」は、人それぞれの心の中にあるもの
であり、そして人それぞれの解釈で良いのではないか、ということなのですよね。
ゴールデン・ドーン版にはゴールデン・ドーン版の意味があり、ウェイト版にはウェイト版
の意味があり、トート版にはゴールデン・ドーン版の意味があり、マルセイユ版には
マルセイユ版の意味があり、そして人それぞれの「杯」に、人それぞれの意味とその解釈が
あるということです。
そして、AカップにはAカップの良さがあり、DカップにはDカップの良さがあるということで
あって、その意味と解釈については、人それぞれに考えてほしいということなのですよね。

つまり、イエスの有名な「○○○○の貧しき者たちは幸いである」という言葉の中には、
それなりに深い意味が隠されているということなのでした。←完全なムチャ振りww
75名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)07:05:21 ID:bEI
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
THE ACE OF SWORDS, Root of the Powers of Air ( [vau] ).
剣のエース、空気([vau])の力の根源。
--- ここまで ---

タロットにおいて、三番目のスートは「剣=空気」のカードになります。
三番手という、ちょっと地味というか空気になりやすい微妙なポジションになっています。

兄弟関係にあるトランプ・カードの「スペードのエース」は、トップバッターの地位と、
最高の権力と破壊力を持ち、「death card/死のカード」として世界中の人々から恐れら
れる存在となっていますので、ちょっと意外なポジションですよね。
実際、シンプルなトランプカードの数札の中では、真っ黒で重厚な「スペードのエース」
の「剣のマーク」のデザインは、何かと不吉で異彩を放つ存在であることは確かです。

でも、人生のストーリーという点においては、この三番手のポジションとというのは、
なかなか絶妙な位置にあるわけなのです。
つまり、
・「起」=「棒=火」
・「承」=「杯=水」
・「転」=「剣=空気」
・「結」=「五芒貨=地」
というストーリー作りにおいては、「起承」と「結」は、割と定番というか常識的なネタ
展開で行く方が良いのですが、そのかわりに「転」の中には、今までにない斬新なヒネリ
を加えた非日常的な絶叫ネタをどう絡めてくるのかが勝負になります。
つまり、ここがクライマックスのシーンであり、ストーリーとしては最も「おいしい部分」
ということで、ここでの味付けやサジ加減を間違うと、クソ作品となってしまうことに
なりますので、細心の注意と最大の労力をかけるところでもあるわけです。

つまり、劇場版の人生ストーリーにおいては、「禍を転じて福となす」という定番展開が
絶対的に求められるわけであり、そういう物語作りにおいては、欠かすことのできない
重要な要素が、この「剣=空気」の役割ということになるのでした。
76名無しさん@おーぷん :2015/01/23(金)06:56:03 ID:yVy
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 58) ---
The card is Kether in Yetzirah, the influence of Kether in the Astral World, the
world of fleeting forms.
カードは、「イェツィラー」の中の「ケテル」であり、束の間の形の世界である「星幽界」
の中の「ケテル」の影響である。

This is a potent card which can be either extremely good or extremely evil.
これは、極めて良いか、もしくは極めて悪いものである可能性のある、力強いカードである。
--- ここまで ---

「イェツィラー界」は、我々の住む「アッシャー界」のすぐ近くにあるため、その影響が
割と身近に、かつ強力に感じることができるようになります。
つまり、霊的な「棒=火=アツィルト界」や、精神的な「杯=水=ブリアー界」のような
目には見えないし、心の奥底でしか感じることのできない、形の無い世界と比較すると、
不確定性原理によって「fleeting forms/束の間の形」ではありますが、何となくその
存在を実際に感じることのできるのが、「Astral World/星幽界」ということですよね。

ちなみに、どのようなカードであれ、「good/善」と「evil/悪」の両面の効果を持って
いるのですが、「剣のエース」では、それが極端な形、つまり、やり過ぎじゃないか、と
いう形で発揮されることが多いということなのですよね。
そして、こういう「善と悪の力」の二面性が、カードには「両刃の剣」として、表現されて
いると言われているわけです。
そういえば、「善と悪」を裁く「Justice/正義」のカードにも、「両刃の剣」が象徴的に
出てきていますよね。

で、この「空気」のパワーというと、普通に考えれば「風」の力になるわけですが、これが
「神風」になったり「暴風」になったりするということですよね。

まあ、我々のような変態紳士からすれば、「神風」はもうアレ一択しかないわけですが、
「悪の剣」でビリビリに切り裂くような二次元的シチュエーションも、それなりに良い
ものだと思うのでした。(何の話だ…)

ま、それはともかく、「剣のエース」と「スペードのエース」が元々は同じものだと
考えれば、その破壊力がハンパないことは、何となくわかるかと思います。
もし、このカードが占いに出てきたら、覚悟を決めて立ち向かう、というか、とにかく
荒らし、いやいや嵐をやり過ごすことを真剣に考えないと、お互いに傷ついて、エラい
ことになってしまうということを表しているわけですよね。
77名無しさん@おーぷん :2015/01/24(土)08:11:58 ID:JUT
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
It represents force which is invoked, rather than the natural force of the ACE OF WANDS.
それは、「剣のエース」の本来の力というよりも、「召喚された」ものの力を表している。

This is a force called upon.
これは、招集された力である。
--- ここまで ---

「イェツィラー界」の「剣=空気」のカードは、上位の「アツィルト界」と「ブリアー界」の
絶対的な支配の下に、我々の住む下位の「アッシャー界」を支配する、いわゆる「天使」
と呼ばれる中間管理職的で微妙な立場にあります。
つまり、「剣のエース」の働きは、我々から見れば、相談窓口というか、仲介役みたいな
働きをしている者たちのトップということなんですよね。

もちろん、「剣のエース」自身の固有の「force/力」もあるのですが、それを使うことは
「剣のエース」の本来の使命ではなく、あくまでも「中間管理職」の立場で、上位世界と
下位世界の「力」たちを、うまくコントロールして、この世界のバランスを保つことが、
与えられた使命であるということになるわけです。

そして、この世界のバランスが崩れた時に発動し、上位世界の巨大な「力」を行使する
権限を与えられ、下位世界に対して、我々から見れば「大いなる災い」をもたらすものと
して現れるということになるわけですよね。

とはいえ、この「イェツィラー界」の存在である「剣」は、割と我々の近いところにある
わけですので、我々自身も、ある程度の「働きかけ」をすることが可能ですし、発動する
タイミングを予測することも、ある程度は可能となっています。
その点は、よくわかんない「アツィルト=棒」や「ブリアー=杯」とは異なる点であり、
知恵ある人であれば、「剣」のもたらす「災い」から逃れることが出来るわけです。

でも、そういう「災い」から逃れるのって、なかなか普通の人には出来ないことなんです
よね。
そもそも人間って、他人に対しては「悔い改めよ!」なんて言いながら、自分のことに
なると「オレは何も悪くない! みんな世間が悪いんだ!」と、そう簡単には悔い改め
たりはしないものですからねぇ。
結果的には、予測されたものの中で最悪の事態に陥るというのが、世の常なのです。

わかっているのに、毎回デスマを繰り返す管理職って、何なんですかね~。←グチ(涙)
78名無しさん@おーぷん :2015/01/26(月)06:52:45 ID:02C
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
When the Kether energies are seen on the Astral level they are both dynamic and
erratic, having the potential to be applied at will to different situations.
「ケテル」の精力たちが「星幽界」の段階に見られる場合には、それらは動的であるだけで
なく不規則でもあり、意のままに種々の状況に適用される可能性を持っている 。

Thus, this is described as the "Sword of Good or Evil," of "Whirling force and
strength through trouble.
したがって、これは「渦巻く力と困難を乗り切る強さ」の「善もしくは悪の剣」と評される。

It is the affirmation of justice upholding Divine Authority; and it may become
the Sword of Wrath, Punishment and Affliction." (*68)
「それは「神の権限」を支持する「正義」の確約であり;そしてそれは、「神の怒り」、
「懲罰」、および「苦悩」の「剣」になるかもしれない。」(*68)
--- ここまで ---

ちなみに、(*68)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
68. 'Book T', Golden Dawn, v. IV, 143.
68. 「Tの書」、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第4巻、143ページ。
--- ここまで ---
とあります。

何度も言いますが、「イェツィラー界」の存在である「剣のエース」は、我々の意志に
よって、ある程度までは、それっぽくコントロールが可能なものです。
ただし、しょせん「人間の意志の力」なのてものは微力であり、「剣」の持つ強大なパワー
を暴走させて、結果として壊滅的な状況に陥ることも、ままあるわけです。

とはいえ、『「神の権限」を支持する「正義」の確約の「剣」』なんて話は、いかにも
カルト宗教っぽい、いかがわしい感じがしますよね。
そして、わけのわからない「神の正義」を振りかざして、罪なき人々を地獄の苦悩へと
陥れるというのが、よくある定番パターンなわけです。

ところで、「スペードのエース」の例もあって、よく勘違いされるのですが、そもそも
「剣のエース」は、外界に向かって発揮される物理的な「力」の象徴などではなくて、
あくまでも「イェツィラー界」の存在、すなわち、本来は「影も形も無いもの」です。
つまりは、完全に「内なるもの」であって、いわゆる脳内妄想の「起承転結」の中での
「転」にあたる部分の動力源に相当するものです
そして、その脳内妄想における内なる「善と悪」の概念も、世間一般で言われている
外なる「善と悪」の概念とは、全く違うものがあるわけです。

「災い転じて福となす」という言葉がありますが、これは内なる物の見方により、外なる
将来の運命が全く異なってくることを表すものです。
そして、これこそが「渦巻く力と困難を乗り切る強さ」を持つ「剣のエース」のミラクル
パワーの真髄とも言えるものです。

そう、剣を抜かずとも勝つ、ということが、人生の基本であり理想なのですよね。
79名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)07:05:39 ID:H3Z
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
The style for most versions of this card relates to the Marseilles version, showing
the Sword of Air, passing through the Crown of Kether.
このカードの大部分の版の様式は、マルセイユ版と関連があり、「ケテル」の「王冠」を
貫通している「空気」の「剣」を示している。

Dual possibilities for action are implied in the palm of suffering, and the olive
branch of peace.
行動の二重の可能性は、受難のナツメヤシ、および平和のオリーブの枝に暗示されている。

The six Vaus above the Golden Dawn crown mean Tiphareth, the Ruach (Air) center
of the Tree of Life.
ゴールデン・ドーンの王冠の上の6つの「ヴァウたち」は、「生命の木」の中心の「ルアク
(空気)」である「ティファレト」を意味している。
--- ここまで ---

ここも、「Tの書」を参考にした記述となっています。

なお、「ナツメヤシの葉」と「オリーブの枝」の左右の配置が、ゴールデン・ドーン版と
マルセイユ&ウェイト版では異なっているのは、マサース氏のこだわりの部分です。

ちなみに、「ナツメヤシ」が「受難」で、「オリーブ」が「平和」を表すというのは、
キリスト教的な解釈になります。
元々、「ナツメヤシ」自体は、旧約聖書中でも良く出てくるものであって、厄災を意味
するものではなく、むしろ「生命の木」を象徴するものとして、神聖視されています。
そのため、『新約聖書:ヨハネによる福音書12:13』にあるように、エルサレムに来た
イエスを、ユダヤ教の人々は「ナツメヤシの枝」で歓迎し、その後まもなく、イエスは
十字架に磔にされることになるわけです。
そして今でも、復活祭直前の日曜日を「Palm Sunday/パーム・サンデー」として、色々な
宗教行事が行われていますので、キリスト教圏では、いつのまにか「受難」のイメージが
強くなっているのではないかと推察します。

つまり、この「剣のエース」では、「ヤシの葉」を、イエス受難の前触れとして、そして
「オリーブの枝」をノアの大洪水が終焉して平和が戻った印として、使っているという
ことになるわけですよね。

あと、「ゴールデン・ドーンの王冠の上の6つの「ヴァウ」たち」ですが、「Tの書」では
「Six Vaus fall from its point./6つのヴァウが、その先端から落ちている。」という
表現になっていますので、これらの「ヴァウ」の発生源は「王冠」ではなく「剣」である
ことに注意しておいてください。
80名無しさん@おーぷん :2015/01/28(水)06:16:05 ID:Qdd
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
THE ACE OF PENTACLES, Root of the Powers of Earth ( [heh] ).
五芒貨のエース、地([heh])の力の根源。
--- ここまで ---

最後のスートは、「五芒貨=地」です。

ちなみに、ここでは「Pentacle/五芒貨」と訳していますが、元々の意味は「五芒星」で
あって、そういう神秘的というか魔術的な印を持つ、主に円盤状の護符のようなものを
総称して、英語では「Pentacle」と呼んでいるようです。
つまり、ゴールデン・ドーン版もトート版もウェイト版もマルセイユ版も、魔術カバラの
世界では、どれもが「Pentacle」で、ひとくくりにしても構わないということです。

さて、この「五芒貨のエース」たちですが、いずれも丸っこいデザインですよね。
若干少女趣味っぽい、こういう丸いものに反応して萌える人々にとっては、もうこれだけで
充分おいしいものになっています。

結局のところ、今まで「起=棒」「承=杯」「転=剣」と、色々とありましたが、最後に
たどり着くのは、こういう「地=五芒貨」に足の着いた、丸萌えの癒しの世界であると
いうことです。
間違っても、「最後の最後は、やっぱり銭の力やで!」なんて言ってはなりません。

ちなみに、こういう丸い形というのは、極めて安定して強固な形状であり、不定形な
「火」「水」「空気」とは違って、「地球」のように「まるくなる」という技は、
定番の守備体形として知られています。
あと、「猫がこたつで丸くなる」というのも、敵の攻撃力を下げる技として、究極の
シチュエーションとなっているわけです。
まあ、人間も、色んな意味で「丸く」なった方が、絶対にいいですからねぇ。

結局、何がいいたいかというと、「丸萌え」こそが正義であり、究極の真理であると
いうことなのですよ。←論理飛躍ww
81名無しさん@おーぷん :2015/01/30(金)06:21:25 ID:ofb
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
This Ace represents Kether in Assiah, the influence of Kether in the World of Matter.
この「エース」は、「アッシャー」の中の「ケテル」で、「物質の世界」の「ケテル」の
影響を表す。

It is a card of materiality which may, like the ACE OF SWORDS, be either good or evil.
それは、「剣のエース」のように、良いかまたは悪いかもしれない、物質性のカードである。

It is not necessarily a card of wealth, and should be compared with the TEN OF
PENTACLES.
それは必ずしも富のカードではなく、「五芒貨の10」と比較されるべきである。
--- ここまで ---

「アッシャー界」は、我々の住む宇宙そのものです。

このため、この「五芒貨のエース」の効果は、我々にとっては直接的なものであり、
「形あるもの」として、割とはっきりと目に見える形で、もたらされるものになります。

とはいえ、ここでもたらされるものは「ケテル」のパワーであり、まだ未分化というか、
まだ話が始まったばかりの状態であって、これからどういう経緯でどういう結論に至る
のかは、その後の登場人物によって作られるストーリーの展開によるわけです。

まあ、資金集めに成功しても、それが結果的に良い作品になるとは限らないということで
あって、やはり「火」と「水」と「空気」の大いなる助力が無ければ、「地」における
物事は成功しないということでもあります。

そういう意味でも、この「五芒貨のエース」は「よくわかんない」カードなんですよね。
もちろん「悪い」ものではないのですが、結果的にどうなっていくのかはわからないと
いうか、まだ独り立ちさえできない存在ですので、まだ「良い」とも「悪い」とも言えない
という感じです。

この点は、はっきりと結果が出てはいるものの、将来のことについては全く言及でない
「五芒貨の10」とは、真逆の立場にあります。
すなわち、
・「五芒貨のエース」:現状=言及なし、将来=可能性は大いにあり
・「五芒貨の10」:現状=大いなる成功、将来=言及なし
ということです。

さて、もし皆さんが、どちらかを選ぶとすれば、どちらのカードを選びたいですか?
82名無しさん@おーぷん :2015/02/01(日)06:58:12 ID:N4x
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
The Marseilles card is extremely simple, and relates to the ancient suit of Coins,
money being considered the essence of material things.
マルセイユ版のカードは、実に単純であり、物質的な物事たちの本質であると考えられて
いるお金である「硬貨」たちの古来のスートたちと関連する。
--- ここまで ---

直前で、「not necessarily a card of wealth/必ずしも富のカードではない」などと
言っておきながら、いきなり「the essence of material things/物質的な物の本質」
である「money/お金」の話になります。

とはいえ、我々の住む「アッシャー界」の人間社会においては、「お金で買えない物は
(ほぼ)無い」というのも確かですので、この「アッシャー界」を構成する「things/
物事たち」を統合するものとして、黄金色に輝く金貨で象徴される「money/お金」の話を
持ち出すことは、人間世界に限定すれば、あながち間違いでもないわけです。

そういえば、「Gold/金」って、不思議な物質ですよね。
実用品としては、割とごく限られた用途しかないのに、その「朽ちない黄金色の輝き」と
いう見た目と、産地が限定され、微量しか採掘できないという「レアさ」のおかげで、
人間社会において、古代より共通の「通貨」として使われ、そして今でも、人間社会全体
に与える重要性を全く失っていないという、実に奇妙な物質であるわけです。
そして、この世の全ての事物を統合する「金」の魔力に憧れる人々は、様々な分野において、
いわゆる「錬金術(総称)」なるものを生み出し、さらなるカオスの世界に落ちていくと
いうわけです。

ちなみに、マルセイユ版はフランス製のカードですが、マルセイユ版が製造された当時の
フランスにおいては、トランプカードは既に現在のようなスート、つまり「クラブ」、
「ハート」、「スペード」、「ダイヤ」という、安価に大量生産可能なデザインになって
いました。
つまり、「ancient suit of Coins/「硬貨」たちの古来のスート」というのは、現在の
トランプカードのデザインではなく、それ以前、具体的には15世紀までのトランプカード
は、「Coin/硬貨」のデザインが使われていたということを意味しています。
なお、この「Coin/硬貨」のデザインのトランプカードは、イタリアなどでは、割と近年
まで使われていたようですね。

タロットカードとトランプカードは、フランスにおいては、どちらもルネサンス期の
イタリアから導入され、フランス国内で商業的に大量生産されたものですが、いち早く
簡略化されたデザインとなって安価に大量生産され、世界中に広まったトランプカード
と比べると、タロットは、比較的昔ながらの複雑なデザインを残したままの姿となって
いるわけですよね。
83名無しさん@おーぷん :2015/02/06(金)06:57:07 ID:wv3
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
Waite's version also features a coin, but this is really a Pentacle, magical symbol
of earth, held above a flowing garden of pure lilies.
ウェイト版もまた、硬貨を特徴とするけれども、これは本当は、大地の魔術的な象徴である
「五芒貨(星形五角形)」であり、純粋な百合たちの湧き出る庭の上方に保持される。
--- ここまで ---

ウェイト版の「硬貨」のデザインは、マルセイユ版のリアル「硬貨」、つまり「お金」に
似てはいるけれども、実は全く似て非なるものであり、基本的には、バーチャルな「大地
の象徴」であるということです。
まあ、「アッシャー界」の代表が「硬貨」というのは、一部の人々にとっては、あまりにも
夢が無いというか、あまりにも現実的すぎますので、リアル世界では、この程度でお茶を
濁しておくのが良いかと思うわけでした。

さて、この「Pentacle/五芒貨(星形五角形)」は、魔術用語の翻訳では「ペンタクル」と
呼ばれているわけですが、実のところ、ゴールデン・ドーンの「The Earth Pentacle/
地のペンタクル」は、五芒星ではなく六芒星が基本となっています。

つまり、ウェイト氏は、内部機密とされているゴールデン・ドーンの六芒星を使わずに、
あえて語源に近い、旧来の「五芒星タイプ」のシンプル・イズ・ベストなペンタクルの
デザインを採用し、カードのタイトルには、神秘的な「Pentacle/ペンタクル」という
言葉を入れてきたということになっているわけです。
まあ、確かに、一般向けには、こういうアレンジの方が、わかりやすい感じがしますよね。

さて、この「五芒貨」の背景ですが、ちょっと不思議な場所ですよね。

「pure lilies/純粋な百合たち」、つまり、人の手が入っていない、純粋で純潔で誰にも
触れられていない白い百合たちが、自然と湧き出す、不思議な庭という設定です。
なんか、これだけで、色々とけしからん妄想が捗るわけですよね。

いずれにしろ、この庭は、ある種のエネルギー、すなわち「地のケテル」のエネルギーが
湧き出している「パワースポット」であり、大地の泉でもあるわけです。
ただし、大量に(水として)噴出していると、「杯のエース」の領域となりますので、
より控えめに、じんわりとしみ出すというか、濡れ出してくるような、そういう控えめで
淫靡な雰囲気になるというわけです。
まあ、そういう意味でも、色々とけしからん設定ではあるわけです。

そして、そういう大地に咲く「白百合たち」から搾取された「ピュア・エナジー」が集め
られて形となったものが、この「五芒貨(ペンタクル)」という象徴で表されていると
いうことになるわけですよね。
そして、この庭で集められて生み出された「五芒貨」、すなわち「処女懐胎」で生まれた
「子」は、庭の奥にある「子宮口」から、下界へと降臨していくという、ウェイト氏の
キリスト教的な福音書のストーリーへと繋がっていくわけですよ。

ウェイト版って、よく見ると、色々なオカルト的な伏線が張られています。
たまには、エロ目線だけでなく、オカルト目線でも見てあげると、いいかと思います。
(え、タロットをエロ目線で見てるのは、おまいだけだろうって?)
84名無しさん@おーぷん :2015/02/07(土)08:34:12 ID:KAT
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
The hand floats in the air, suggesting that it is that which brings about the fruition
of matter, rather than being matter itself.
手は空中に浮かんでおり、そのことは、それ自身が物質であるというよりも、物質の成果を
もたらすものであることを示唆している 。
--- ここまで ---

神、あるいは天使の「The hand/手」は、他のエースと同様に、空中に浮いたままであり、
まだ「地についていない」、すなわち、このエースの状態の「ペンタクル」は、まだ完全
には「アッシャー界」には降臨していないことを表しています。

つまり、こういう中途半端な状態が「ケテル」が「ケテル」であるという、基本的な性質
でもあるわけで、それゆえ、きちんと読めないカードであるということなんですよね。
我々のような、何でも「お金」に換算してしまう「物質的世界のオトナの住人」にとって、
この「物質的であって、物質的ではない」という中途半端なものは、なかなか取り扱いが
難しいのです。

では、この実体がありそうでなさそうで、よくわからない「ペンタクル」とは、一体何なの
でしょうね。

一言で言うと、これは地上世界における「可能性」であり、今はまだ生まれたばかりで、
得体の知れない「何かの卵」みたいな感じのものです。
そして、これが実体として進化していくことで、将来的に役に立つ、あるいは役に立たない、
色々な得体の知れたものへと変化していくということになるるわけです。
さらに、創世記の物語に見立てて、時空のゆらぎの中で生み出されてきた「宇宙のたまご」
と考えてもいいわけですし、この宇宙は、純粋な百合の花園から産み出されてきたという、
これまた妄想の捗るシチュエーションに結びつけることも可能となるわけです。

そういう意味では、この「ウェイト版」の「五芒貨のエース」の世界観というものは、
かなりロマンチックなものであって、割と現実的な「マルセイユ版」の価値観とは、
ずいぶんと違っているわけですよね。

まあ、原作担当のウェイト氏も、原画担当のピクシーたんも、それなりの夢想家であり、
ロマンティストであったということなのでしょう。
結果的に、研究対象としての「ゴールデン・ドーンのタロット」や、ハリス夫人の高尚な
趣味と道楽で描いた「トート・タロット」とは全く違う、割と大衆娯楽的というか、ニワカ
ヲタクを惹き付ける娯楽作品みたいな雰囲気を持っているわけなんですよね。

とはいえ、ニワカだけでなく、熟練者にとっても、ウェイト版って、なかなか面白い題材な
わけです。
簡単そうでいて、実は奥が深いというか、まあ色々な妄想が捗るというか、なかなか良く
出来たカードではないかと思うのでした。
85名無しさん@おーぷん :2015/02/08(日)10:07:24 ID:Y5C
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
In the Golden Dawn card an angelic hand holds a Rose Tree surmounted by a Pentacle
of five concentric circles.
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、天使のような手は、5つの同心円の「五芒貨」が
載せられている「薔薇の木」を持つ。

The outermost circles are in the colors of Malkuth: citrine, olive, russet and black.
最も外側の円たちは、「マルクト」の色たち:レモン色、オリーブ色、あずき色、および
黒色、の中にある。

These are the four Base Elements, shown to be in perfect balance by the red
equal-armed cross.
これらは、4つの「基底的な元素たち」であり、赤い等しい腕の長さの十字により、完全な
均衡にあることが示されている。

The twelve White rays are the forces of the Zodiac, expressed through the Elements
of Earth.
12の「白い」光線は、「黄道十二宮」の力であり、「地の要素」を通して表されている。
--- ここまで ---

この部分は、「Tの書」に書かれていること、そのままですよね。

ちなみに、この「五芒貨」の他のカードにも描かれている「Rose Tree/薔薇の木」は、
ゴールデン・ドーンの「剣」のカードたちに描かれている五弁の一重咲きの薔薇の花、
つまり野生種のものとは違って、八重咲きの人工的に品種改良された園芸品種です。
こういう点でも、ウェイト版の「五芒貨のエース」に描かれている、天界に咲くような
「pure lilies/純粋な百合たち」とは、考え方が若干異なっていることがわかります。

まあ、どちらが正解ということでもなくて、要するに、このカードの背景設定にある
ストーリーの違いということなのですよね。

そういう意味では、ゴールデン・ドーンの「五芒貨のエース」は、より人工的というか、
マルセイユ版寄りというか、よりこの世界に近い、論理的で計算可能なものとして、
描かれているということなのでした。

魔術で、この世を操作することが可能であるという魔術理論からすれば、こういう論理的な
「メカニズムのわかりやすさ」というものは、ある程度は必要なんでしょうね。
86名無しさん@おーぷん :2015/02/09(月)06:59:18 ID:mVR
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 59) ---
The four roses also represent the Elements, but the addition of two buds implies
the very fertility of these Elements in their subtle earthly balance.
4つの薔薇たちはまた「元素」を表しているが、2つのつぼみの追加は、それらの巧妙な
地上界の均衡においての、これらの「元素たち」の大いなる肥沃さを暗示している。
--- ここまで ---

最後のエースである「五芒貨のエース」には、これまでの「エース」たちの全ての要素が
整然と組み入れられて、ひとつの完成形となっています。
でも、この「完成」は、天地創造の神世界の話、つまり『旧約聖書:創世記』における
「第七日目」のことであって、地上界に住む我々にとっては、全然終わりなんかではなく、
むしろ、この世界は始まったばかりのものなんですよね。

つまり、ゴールデン・ドーンのストーリーでは、この「two buds/2つのつぼみたち」は、
この世で肉体を得た「アダム」と「イブ」であると推察することが可能なわけです。
そして、この2つのつぼみたちが、一方の枝の同じところ、おそらく「イェツッラー界」と
「アッシャー界」の間から生えているのも、何となく「アダムとイブ」の人体錬成の
創世記のストーリーを連想させるものがありますよね。

それはともかくとして、この追加された「2つのつぼみたち」は、占い的に見た場合、
将来的にどういうふうなストーリーで性徴し、そして成長していくかは、この時点では
全くわからないわけです。
男なのか女なのか、善なのか悪なのか、幸福をもたらすものなのか、不幸をまき散らす
ものになるのか、マジで何もわからないという、ひたすら「可能性」だけの存在です。

ただ一つ分かっているのは、「the very fertility/大いなる肥沃さ」、すなわち、
「大いなる可能性がある」ということと、「大いなる能力を持つ」ということです。
つまり、これを活かすには、我々自体が「育ての親」として、しっかりと働きかけをして、
なるべく良い方向に向くようにしていくことです。

今までの「棒のエース」「杯のエース」「剣のエース」の「ケテル」には、地上の我々の
力は到底及ばないものでしたが、こり「五芒貨のエース」に限っては、地上界の我々の
力を大いに必要としている、ということですよね。

要するに、いくら就職のチャンスがあったとしても、自宅に引きこもってばかりでは、
一生自宅警備員のままで終わる、ということなわけです。

まあ、五芒貨のスートの世界って、良くも悪くも、リアル(現実的)なのですよね。
87名無しさん@おーぷん :2015/02/10(火)06:57:08 ID:Hkt
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
The winged Red Cross refers to the Primordial Elements of Kether.
翼のある「赤い十字」は、「ケテル」の「原始的な元素たち」について言及する。

It is winged to show that the Elements pass through the state of Spiritual Air
before manifesting into matter.
それは、「元素たち」が、物質の中に顕現する前に、「霊的な空気」の状態を通過すること
を、明らかにするために翼が付けられる。
--- ここまで ---

「ペンタクル(五芒貨)」の大きな五重円の上には、2枚の白い翼を持つ白い球体があり、
その球には赤い十字が描かれています。
この十字は、「ペンタクル(五芒貨)」の中心のシンプルな赤い十字とは若干違って、
「Maltese Cross/マルタ十字」と呼ばれる、十字の端部が広がったデザインとなって
いて、より高級感を出しています。

つまり、この「2枚の白い翼を持ち、赤いマルタ十字が描かれた白い球体」は、上部組織
から送り込まれた「上位レベルのエネルギー体」であるということになります。

ちなみに、この構図は、ウェイト版の「杯のエース」を連想させるものですが、ウェイト版
が「杯」という上位体系のものである一方、ゴールデン・ドーンは「五芒貨」という下位
レベルのものであるため、同じように見えても、両者の持つ意味合いは、全く違うものに
なっていることに、くれぐれもご注意ください。

で、ちょっと気になるのは、「Tの書」では、「two white wings/2つの白い翼たち」と
書かれているのに対し、ウォン氏のゴールデン・ドーンのタロットでは、明らかに黄色の翼
として描かれているのです。

とりあえずのワタシ的解釈としては、
・元は霊的な白い翼であったが、下界に降りたことで、物質的な「黄金色」に変化した。
・白い翼のままであるが、下界からの黄色い光線を反射して、「黄金色」に見えている。
ということになりますが、下にある「ペンタクル(五芒貨)」も、中央から周辺に向かって、
・白→レモン色→オリーブ色→あずき色→黒色
と変化していますので、そういう変化の過程を示したかったのかもしれません。
まあ、あとは各自で好きなように解釈してもらえれば良いかと思います。

要するに、「Tの書」のタロットデザインの記述は、決して絶対的なものではなくて、
後の時代になってからも、ゴールデン・ドーンのタロットのデザインは、色々と研究
され続け、改良され続け、仕様変更され続けているということであり、それゆえ永遠の
ベータ版であり続けるということなのですよね。
88名無しさん@おーぷん :2015/02/11(水)08:20:36 ID:FKT
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
Crowley's card apparently represents the wings of the four Archangels (Michael, Gabriel,
Raphael and Auriel) whose powers serve to balance one another, and create stability.
クロウリー版のカードは、見たところでは、それらの力たちが、お互いに均衡を取り合い、
安定をもたらすのに役立つ四大天使たち(ミカエル、ガブリエル、ラファエル、およびウリエル)
の翼たちを表している。

At the center is Crowley's personal phallus symbol and the number of the Beast of
Revelation, 666, with which be identified.
中央には、クロウリー氏の個人的な男根の象徴と、(クロウリー氏と)同一視されている
「黙示録の獣」である「666」の数字がある。

In the wheel are Greek words meaning "to the mark of the beast," another indicator
that Crowley chose this particular card as his own.
車輪の中には、「獣の刻印に」を意味するギリシア語があり、もう一つの指示として、
クロウリー氏が、彼自身としてこの特定のカードを選んだということである。
--- ここまで ---

トート版タロットは、他の版とは違って、クロウリー氏の個人的趣味が満載であり、ほぼ
完全に私物化されたものとなっています。
まあ、そういう意味では、クロウリー好きの人以外にとっては、全く役に立たないシロモノ
であるとも言えます。
このカードについての自慢話、いやいや詳細な解説は、クロウリー氏の『トートの書』に
詳しく書かれていますので、その手のタワゴトに興味のある人は、そちらの方を読んでみて
ください。

なお、『トートの書』には、「四大天使の翼」ではなく、「六つの翼」とありますので、
「apparently/見たところでは」よくわからないけど、あと2つの翼があるそうです。

また「Crowley's personal phallus symbol/クロウリー氏の個人的な男根の象徴」は、
中央にある、「三日月の付いた三つの輪」のマークの部分になります。

そして、「黙示録の獣」とか「666」の数字の元ネタは、『新約聖書:ヨハネの黙示録』
の13章以降にあります。

ちなみに、車輪部に書かれている文字ですが、実際は「ΤΟ ΜΕΓΑ ΘΗΡΙΟΝ
(ト・メガ・テーリオン)/The Mega(Great) Beast/偉大なる獣」という意味になります。
これは、クロウリー氏が、「The Great Beast 666/大いなる獣666」を自称していたこと
からみても、このカードを完全に私物化していることは明らかですよね。

まあ、ハタから見れば、かなり厨二病が悪化した、相当に痛々しいカードであるわけで、
そういう意味でも、あまり深入りしたくはないシロモノでもあるわけでした。
89名無しさん@おーぷん :2015/02/12(木)06:49:17 ID:HkV
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
2. CHOKMAH: Wisdom
2. コクマー:叡知

The Four Twos,
「四枚の2たち」 、

The Four Kings
「四枚の王たち」
--- ここまで ---

さて、ここからは、「ケテル」の次のセフィラである「コクマー」の話になります。

最初の「ケテル」からの流出は、以下の三つの「小径」に分岐して下層に流下しています。
 1. 「ケテル」→「0. 愚者」→「コクマー」
 2. 「ケテル」→「1. 魔術師」→「ビナー」
 3. 「ケテル」→「2. 高等女司祭」→「ティファレト」
キリスト教的に解釈すると、「ケテル:聖霊」、「コクマー:父」、「ビナー:母」そして
「ティファレト:子」の関係に相当するわけです。

ちなみに、「生命の木」のバランス理論では、基本的に左右均等である必要があります
ので、パワーバランスを考えると、「ケテル」の流出エネルギーから、「ティファレト」
への流入エネルギーを除いたものの半分ずつが、それぞれ「コクマー」と「ビナー」に
流入しているという計算になります。
ただし、「コクマー」から「ビナー」へ、「コクマー」から「ティファレト」へ、そして
「ビナー」から「ティファレト」への流出分もありますので、結果的には、「ケテル」
から「コクマー」への流出量が、最も多いということになり、流れの順位的には、
 「ケテル」→「コクマー」→「ビナー」→「ティファレト」
という上下関係が成立しているということになりますよね。

ということで、さっそく、「父」なる「コクマー」、そして「2」と「王」のカードに
込められた意味を、これからのんびりと探っていくことにしましょう。
90名無しさん@おーぷん :2015/02/15(日)06:06:55 ID:O4I
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
□ The Supernal Father
□ 天上の父

□ The Will to Force
□ 力の意志

□ Dynamic Outpouring Energy, Unorganized and Uncompensated
□ 未組織で未補正の、活動的な流出する精力

□ The Great Stimulator
□ 大いなる刺激者

□ The First Positive
□ 最初の陽性
--- ここまで ---

まずは、「The Supernal Father/天上の父」の意味ですが、この世の全ての「父」なる
ものを全世界的に統一する、究極で至高の「父性」という感じのものですかね。

とはいえ、「父性」というものは、常に「母性」の対極にあるものであり、「父性」と
「母性」は単体では存在できないので、「父性」と「母性」、すなわち「コクマー」と
「ビナー」は、常にペアとして論じる必要があるということになります。
つまり、「ケテル」は無極性であり、何とも形容しがたい、わけのわからないシロモノで
あったものが、この段階で初めて、「父性」と「母性」という、陳腐な、いやいや、割と
誰でも理解することが可能な、普遍的な二軸に分極することで、この世界に二次元的な
妄想の広がりが生じるということになるわけですよね。
そして、この「父性」と「母性」は、自然界では「陽性/Positive」と「陰性/Negative」
に分類される性質のものとなります。

次の「The Will to Force/力の意志」ですが、これは「ケテル」から流出する「力」が、
これといった意志というか方向性を持たない、全方位の無制限垂れ流しバラマキの状態で、
全くもって制御不能であることに対して、「コクマー」の「力」は、ある程度の流量と
方向性の制御が行われていて、そこに何らかの「意図」というか「意志」が働いている
ことを意味しています。
とはいえ、「コクマー」そのものは上流世界にあるので、人間がその実態を完全に知って
制御することは不可能であり、全くもって根源的であり未知なる世界のものであることも、
また確かなんですよね。

つまり、「ケテル」の「未分化」の状態ほどではないにしろ、一般の人間にとっては、
まだまだ「Unorganized and Uncompensated/未組織で未補正」のままであり、うまく
使いこなすことの出来ない、ほとばしる「無限に近いパワー」であるということです。
ただ、「ケテル」との違いという点では、「ビナー」と対比することで、「父性」とか
「陽極」というような微妙な違いに気づくことが出来るようになるいう感じですかね。
91名無しさん@おーぷん :2015/02/15(日)06:58:58 ID:O4I
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
Symbols: The Phallus, the Line, Yod.
「象徴たち」:「男根」、「線」、「ヨッド」。

Astrological Reference: The Sphere of the Zodiac
「占星術の参照」:「黄道十二宮の天球」

Color: Grey
「色」:「灰色」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である「勃起状態の男性器」すなわち、
「おっきしたチンチン&タマタマ」と、図形の「線分」と、「聖四文字」で「四大元素」の
「火」を表すヘブライ文字の「ヨッド」と、「黄道十二宮」を表す車輪のような図形と、
「生命の木」における「コクマー」の位置が図示された絵が描かれています。

なお、コクマーの「色」は一般的に「Grey/灰色」とされていますが、これはあくまでも
「ケテル」が「White/白」となっているのと比べた場合の表現です。
すなわち、「白」でもない、「黒」でもない、白黒決着が付かない無彩色のものは、全て
「灰色」に分類されるものなのですが、「ケテル」の「白」が桁違いにピュアなために、
普通の人間から見れば、「コクマー」も充分に「白」と言えるものではあるけれども、
この場の表現的には「灰色」に分類されなければならないということなのです。

そしてこれは、「ケテル」のような純粋無垢の100%ピュアで均質な状態から見れば、
「コクマー」は全体的に冷めてきて、内部の分化というか結晶化が進んできたために、
全体の透明度が低下してきていることを示しているわけです。

ちなみに、現代のアッシャー界の理論、すなわちビッグバン宇宙論においては、最初の
宇宙のビッグバン(ケテル)の直後から、宇宙の暗黒時代(ビナー)までの間に、この
「コクマー」の時代を割り当てることが可能となっています。
92名無しさん@おーぷん :2015/02/16(月)06:51:30 ID:uiW
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
In Chokmah is a cloud-like grey which containeth various colours and is mixed with
them, like a transparent pearl-hued mist, yet radiating withal, as if behind it
there was a brilliant glory.
「コクマー」の中には、雲のような灰色があり、それは様々な色たちを含んで、 そして
それらと混ぜ合わされていて、透き通る真珠色の霧のようであるが、それと共にまだ
放射しており、まるでその背後には、光り輝く栄光があったかのようである。

And the Sphere of its influence is in Masloth, the Starry Heaven, wherein it
disposeth the forms of things.
そして、その影響を及ぼす「天球」は「マスロス」、すなわち「恒星天」であり、その
中において、物質たちの形たちを配置している。

And Yah is the Divine Ideal Wisdom, and its Archangel is Ratziel, the Prince of
Princes of the knowledge of hidden and concealed things, and the name of its Order
of Angels is Auphanium, the Wheels or the Whirling Forces which are also called
the order of Kerubim.
そして、「ヤー」は、「神の理想の叡知」であり、そしてその「大天使」は「ラツィエル」、
見えない隠された物事たちの知識の「王子たちの王子」であり、そしてその「天使たちの
階級」の名前は「アウファニム」、「車輪」もしくは「渦巻く力たち」であって、それは
また「ケルビム」の階級と呼ばれる。
--- ここまで ---

ここの部分は、前項の「ケテル」と同様に、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』
の「第五知識講義」の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。

最初の文は、純粋エネルギー体の「ケテル」から産み落とされた「コクマー」が、徐々に
物質化していく様子を表しています。
目に見えない気体状態の水蒸気から、目に見える雲が出来ていくような感じですかね。

二番目の文は、作用する天球が「恒星天」、ヘブライ語の「[he][lamed][samekh][mem]:
MSLH/Masloth/マスロス」であることを表しています。
これも、我々には見えない「ケテル」の渦巻きと比べれば、目に見える「日周運動」をする
夜空の星たちという意味では、割と身近に感じられるものです。

三番目の文は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Second Knowledge Lecture/
第二講義文書」の「The Divine Names Attributed to the Sephiroth/セフィロトに配属される
神聖名」を参考にしてください。
とはいえ、こういうヘブライ系の神々の名前は、日本人にとっては、あまり身近なものでは
ありませんので、興味のある人は、仏教や神道系の神々に例えてみるのも、面白いのでは
ないかと思います。
そもそも魔術カバラは、特定の宗教には縛られていませんので、自分で色々と研究して、
好きなものを当てはめてみることは、いい勉強にもなりますからね。
93名無しさん@おーぷん :2015/02/17(火)06:57:41 ID:HH9
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
Many of our present-day notions of sexuality are still rooted in the Victorian era,
when sex was considered almost unnatural.
性的な関心事についての我々の現代の観念の多くは、今もなおヴィクトリア朝の時代に根付
いているものであり、その時代では、性とはほとんど不自然なものであると考えられた。

It was, at best, not to be discussed in polite company.
それは、どう見ても、礼儀正しい仲間の間で議論されるようなものではなかった。
--- ここまで ---

「Victorian era/ヴィクトリア朝の時代(1837‐1901)」とは、ヴィクトリア女王が君臨し、
大英帝国が最も栄えていた時代であり、そしてゴールデン・ドーンの活動期でもあります。
その時代は、まだ女性の社会的地位は低く、それゆえ女性の社会への進出を巡る活動も
活発化していた時代でもあります。

さて、そういう「古き良き時代」においては、世間的には「sex/性」の話というものは、
「unnatural/不自然なもの」つまり「タブー」なネタであって、あまり公の場では
大っぴらには語らないのが「紳士・淑女のたしなみ」でもあったわけです。

残念ながら、そういう風習は現代においても続いており、というか規制が厳しくなる一方
であって、今では地上波におけるパンチラなるものは、ほぼ絶滅してしまっているのが
現状ですよね。
さらに、その規制は、今や二次元世界全体にも及ぶこととなり、二次元世界の住人である
我々にとっては、なかなか世知辛い世の中になってきているよなぁ、と感じるのでした。

まあ、一部の逝きすぎた基地外のせいで、ワタシのような善良なる罪なき一般市民まで
犯罪者扱いされるというのもどうかと思うのですが、なんかそういう似非風紀委員の
君臨する監視社会というのは、何かイヤな感じがするわけですよ。

ワタシとしては、風紀を守ることは大事ですが、それと共に、人が人として楽しく生きて
いくことの方が大事なわけであり、そういう意味では、眼鏡ポニテの風紀委員長から、
やたらと「違反チケット」をベタベタはられるというのも、一つのコミュニケーション
でもあるわけで、さらにその人が裏で神アイドルを目指していたりするなんて設定があっ
たりすると、それはそれで実においしいわけです。

まあ、何が言いたいかというと、「風紀を守る」というのは、何でも「否定=規制」する
ことではなくて、「肯定=指導」していくことがメインであるべきなんですよね。

そして、未来を担う子供たちには、物理法則を無視し、あるべき表現を「規制」された
ものではなく、もっと「natural/ありのまま」の姿で、スカートのリアルな動きを表現
してほしいと思うのでありました。
94名無しさん@おーぷん :2015/02/18(水)05:22:20 ID:TsI
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 60) ---
Today we are coming, increasingly, to understand that what has been described as
the "mystery of sex" is aptly termed, and that the ability to manipulate the sexual
currents in one's own body was among the greatest secrets of the ancient magicians.
今日、我々は、ますます、「性の神秘」と評され続けているものが、適切に名付けられて
いるものであって、そして、人の自身の身体の中の性的な流動たちを操作する能力が、
古代の魔術師たちの最大の秘密たちの中の一つであったことを、理解するようになって
きている。
--- ここまで ---

「sex/性」というものが、我々の目にすることの出来る(目に見えない原始的な微生物を
除けば)、ほぼ全ての植物や動物に存在し、そしてそれが生命の進化の過程において、
非常に大きな役割を果たしていることが、正しく理解されるようになってきたのは、実は
つい最近になってからのことです。

とはいえ、「古代の魔術師」たちが、そのことを正しく理解していたかと言うと、決して
そういうことではないわけであって、それゆえ「古代の性魔術」をやみくもに信奉する
必要も無いということなのです。
まあ、遊び感覚で、自己責任で「古代の性魔術」を楽しむ分には、とやかく言うつもりは
ありませんけどね。

とはいえ、こういう「性」に関する魔術=神秘的なテクニックというものは、生身の人間
たちにとっては、それなりに重要な関心事であるのも確かです。
そう、人はパンのみにて生きるにあらず、たまにはパンツも見せろ、な存在なんですよね。

とはいえ、残念ながら、そっち系のリアルなエロ話は、この本の中には出てきません。
ワタシも、そういうリアルな話題には、いまいち疎いですので、その手の話を振られても、
いまいちよくわからないんですよね・・・。
95名無しさん@おーぷん :2015/02/20(金)07:04:32 ID:k2G
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) ---
It is no coincidence that the ecstasies of visionaries such as Saint Theresa or
Saint John of the Cross are described in words that seem explicitly sexual and
orgasmic.
「聖テレサ」もしくは「十字架の聖ヨハネ」などの幻想家たちのエクスタシー(恍惚状態)
たちが、明示的に性的でオルガスム(絶頂感)のように思われる言葉で記述されている
ことは、偶然ではない。
--- ここまで ---

「アビラの聖テレサ」(Teresa of Avila, 1515-1582)は、スペインのローマ・カトリックの
宗教活動家であり、堕落したキリスト教を改革するために、厳格な規律の女子修道院を
創立し、さらに神秘的で幻想的な著作を数多く残しています。

「十字架の聖ヨハネ」(John of the Cross, 1542-1591)は、スペインのローマ・カトリック
の司祭であり、「アビラの聖テレサ」と共に、堕落したキリスト教や修道院の改革活動を
行い、こちらも神秘的で幻想的な著作をいくつか残しています。

ちなみに、この両者の活躍したスペインですが、魔術の歴史上では、イスラム国家時代に
ユダヤ教カバラが発展した地としても有名です。
そして、16世紀は、スペインの地は、キリスト教により完全に制圧されて、ユダヤ教徒は、
キリスト教に改宗するか、他の地へと移住してしまっている時代です。
ちなみに、「アビラの聖テレサ」は、このユダヤ教からの改宗者の家系だったようで、
そういう意味では、ミナちゃんとマサース氏の関係に、少し似た感じがしています。

さて、両者に共通するのは、本人の希望かどうかに関わらず、かなり厳格というか、
恵まれないというか、精神的にも肉体的にも、かなり抑圧された人生を送っていると
いうことです。

そういえば、男子は30歳まで童貞を貫くと魔術師になれるという都市伝説とか、なぜか
処女の方が妄想が激しいとか、とにかくそういうリアルな実体験を伴わない方が、色々と
バーチャルな妄想が捗るということを聞いたことがあります。
一部には、ミナちゃんとマサース氏の夫婦関係が、そういうリアルな実体験を伴わない
ものであったため、色々と妄想が捗ったのではないかという都市伝説もあるわけです。

とはいえ、そういう童貞魔術師や腐の方々の妄想的著作というものは、基本的には妄想に
満ちた痛々しい厨二病的オナニー本になってしまいがちであることも確かであって、
まあ「バーチャル魔術」の妄想を捗らせるにはそれなりに都合の良いものなのですが、
真剣に「カバラ」とリアル世界の関係を論じようとするのであれば、その手の過激な
エロ妄想や無修正の描写は、きちんと分けて考えた方が良いというのも確かなんですよね。

つまり、「聖的なもの」と「性的なもの」を分けて考えることができるというのが、
「カバラ」を論じるためには必要なスキルであるということなわけです。

とはいえ、ワタシには、そんな上品なスキルは無いわけですので、これからも種々雑多の
カオスなネタを、ありのままに提供していこうと思うわけなのでした。←いわゆる開き直りw
96名無しさん@おーぷん :2015/02/21(土)08:54:27 ID:bDB
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) ---
Sexual repression, or discomfort with one's own sexuality (and here we are neither
discussing nor advocating any particular pattern of behavior) is a serious impediment
to any understanding of the inner worlds.
人の自身の性的なもの(そして、ここでは、我々は、いかなる特定の行動の様式でも議論せず、
主張していない)に対する性的抑圧、もしくは不快感は、内なる世界のどのような理解に
おいても、重大な障害である。
--- ここまで ---

「性」に関する話題というのは、「男女差別」とか「セクハラ」に繋がるとの理由で、
公の場においては「絶対的なタブー」とされています。
日本においても、戦後の「民主的」と称される教育において、「男」と「女」の違いは
建前上において、徹底的そして強制的に排除される傾向にあります。

でも、そういう「性的なもの」を嫌う人は、結局のところ「自分のことだけ」しか見ない
「単極」思考であって、そういう自分勝手な人は、「人=ミクロコスモス」や「宇宙=
マクロコスモス」の持つ「双極」という概念を理解することは、不可能なのです。

どういうふうに不可能かと言うと、「理解できない」「理解しようとしない」「話を聞こう
ともしない」、つまり「絶対的に受け入れない」という閉塞状態なんですよね。

まあ、人間がそうなってしまう原因の多くは、いわゆる幼少からの「人生経験」による
わけなのですが、そういう意味でも、よりオープンな世界になってほしいという希望も
あるわけですが、ワタシの力では、そういうものは望むべくも無い状態であることも
確かですので、とりあえずこれ以上のグチは止めておきます。

ただ、知っておいてほしいのは、「男女」や「陰陽」という「双極性」がなければ、
人の成長は無く、人間の進化は無く、全ての生物の進化は無く、そしてこの宇宙の
進化も無く、つまり、我々はここに存在することも無かったということです。
要するに、「性」を否定する者は、自分自身の存在、そしてこの宇宙の存在さえも
否定しているということなのです。

「カバラ」とは、「人間=ミクロコスモス」、そして「宇宙=マクロコスモス」の神秘を
解き明かす学問であり、その過程において「性」に関する話題が出ることは必要不可欠な
ことになります。
そして、「性」に対して正面から向き合い、そして真面目に語ることで、始めて理解できる
ことも多々あるわけです。

もちろん、それは、ハタから見れば、「エロい話」にも見えるわけですが、頭ごなしに
「エロいの禁止! 乂`д´)」と拒否したりせず、(下心満載の)こっち側のエロい世界
にも入ってきてほしいなぁ、と思ったりするわけでした。

え、おまいの下心なんて、とっくにミエミエですって?
まあ、ミエミエなのは当然ですかね。
そもそも全裸待機が、紳士のたしなみなのですから。 <( ̄^ ̄)> ひらきなおりっ!
97名無しさん@おーぷん :2015/02/22(日)09:21:47 ID:GdA
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) ---
The male generative organ (The Phallus, or Lingham) is the key symbol of Chokmah,
and the first differentiation of the One.
男性の生殖器官(「ファルス」、あるいは「リンガム」)は、「コクマー」の鍵となる象徴
であり、そして「人」の最初の分化である。
--- ここまで ---

男性生殖器官、すなわち「男根」とか「陰茎」は、西洋語源(古代ギリシア語→ラテン語)
的には「Phallus/ファルス」と呼ばれ、東洋語源(古代インドのサンスクリット語)的
には「リンガム」と呼ばれています。
まあ、ここは流派による違いということで、好きな呼び方でいいと思います。

ちなみにワタシの場合は、日本人なので、「おちんちん」と(こまちさんに)呼んで
ほしいと思います。

さて、最後の「the One」ですが、これは「人」と訳していますが、もっと広い意味で、
「最初に生まれたもの(=ケテル)」という感じの言葉ではないかと思います。

そして、人が生まれ落ちた時に最初に区別されるもの、それは「男の子」か「女の子」か、
すなわち、生まれた時に「付いているか」「付いていないか」ということなんですよね。

まあ、おちんちんが付いているか付いていないかというのは、肉体的に見れば、大した
違いではないのですが、その後のその人の人生において、それなりに重大な違いの一歩で
あることも確かなのです。

とはいえ、人生の違いというのは、「付いているか」どうかの違いというよりも、その後の
人生の進み方によるものが大きいわけですので、その「男女」の属性の違いを過大視する
ことも危険なんですよね。

人には色々な人生のコースがあります。
そして、「生命の木」においては、「コクマー」からの人生コースにも「ビナー」からの
人生コースにも、さほど大きな違いがあるようには見えません。
そう、全ては、その人が、その後どの道をたどって行くかに、かかっているわけなのです。
98名無しさん@おーぷん :2015/02/23(月)06:47:08 ID:HKZ
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) ---
It is the primary quality of maleness at the most abstract level, and representative
of the Supernal Father emanating from the Godhead.
それは、最も抽象的な段階においての男性の根本的な特質であり、「神」から発散している
「天上の父」を代表するものである。

From Chokmah emerges Binah, the Supernal Mother.
「コクマー」からは、「天上の母」である「ビナー」が出現する。
--- ここまで ---

つまり、「神(=ケテル)」から最初に生み出されるものは、「おちんちん=抽象的男性
=コクマー」であり、そして「おまんまん=抽象的女性=ビナー」であるということです。
そして、「カバラ」の世界観においては、最初の段階において、「男」と「女」の違いが
出てくることを、しっかりと意識しておくことが、非常に重要なことです。

ではなぜ、これほどまでに「男性原理」と「女性原理」を重要視しているのかというと、
もちろんそれは、この世界のあらゆるものは、男性原理(陽)と女性原理(陰)の基本原理
により動いている、ということに他ならないからですよね。

要するに、我々が意識しようがしまいが、この世の中には、「男性原理」と「女性原理」
が充ち満ちており、そしてそれらの特性をきちんと理解することで、我々はこの世の中の
動きを知り、それを制御することが出来るということになるわけです。

「神(=ケテル)」からの流れは、ほとんど一方的なものであって、下々の世界の我々に
とっては、基本的には制御対象とはなりません。
つまり、前項の「4枚のエース」が、実践的な占いの上ではあまり役に立たないのと同様に、
「ケテル」の働きについて知っていようが知っていまいが、実は割とどうでもいいもの
だったりするわけなのです。

それに対して、「コクマー」と「ビナー」は、相互に関係し合いながら、我々の世界を
根本から動かしている究極要因であって、その働きを知り、制御しようとすることは、
実は非常に重要なことになるわけです。

つまりは、「おちんちん」と「おまんまん」を制するものは世界を制す! と言っても、
決して過言ではないということなんですよね。

え、誤解を招くようなことは言うな、ですって?
んじゃ、余計な誤解を招かないように、最後に一言、付け加えておきましょう。

「おちんちん」と「おまんまん」を制するものは世界を制する!(意味深)
99名無しさん@おーぷん :2015/02/24(火)06:34:07 ID:vnM
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) ---
Students of scripture will quickly note the parallels here with the story of Adam
and Eve as described in the Book of Genesis.
聖書の研究家たちは、ここで、「創世記」の中に記述されているように「アダムとイヴ」
の物語に相等しいことを、すぐに気づくだろう。

God created first Man, by molding him from dust and breathing his own breath into
his creation.
「神」は、塵から人の形を作り上げ、そして彼の創造物に彼自身の息を吹き込むことにより、
最初の「男」を創造した。

Eve, the first woman, was created from the rib of the first man.
最初の女である「イヴ」は、最初の男の肋骨から創造された。

The uniting of male and female gave rise to the race of men after they were driven
from the Garden of Eden.
彼らが「エデンの園」から追い出された後、男と女の結びつきは、人類の子孫を生み出した。
--- ここまで ---

つまり、『旧約聖書』をベースとする「カバラ」は、「神」→「男」→「女」の順序関係
を持っているということになります。
ただし、「生命の木」の構図を見てもわかるように、「神:ケテル」→「男:コクマー」の
落差と比べれば、「男:コクマー」→「女:ビナー」の格差というものは、物理的には
全く変わらないようになっているわけです。
これはつまり、最初に作られた人は「雌雄同体:ケテル」であり、その後、一部が「女」と
して分離し、残りが「男」となったと見ることも可能なわけです。

ちなみに、生物学的に見れば、人(胎児)は最初は「女性」の形として作られていると
いうのが定説になっていますので、『旧約聖書』の記述とは相違がありますよね。

ちなみに、人が塵から作られたという記述は、宇宙の星や惑星が、「ガス」や「塵」から
作られたということにも似ています。
さらに、地球(男)の衛星である月(女)が、昔は地球の一部であったという説もあり
ますので、色々なところに、この手の話に類似してものがあるということなんですよね。
100名無しさん@おーぷん :2015/02/26(木)06:49:09 ID:vRg
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) ---
One can, symbolically, take the Garden of Eden to be the Supernal Triangle itself.
人は、象徴的に、「エデンの園」を、「至高の三角形」そのものであると見なすことができる。

The male and female energies, balanced against each other, evolve in increasing
density as they develop toward the lowest aspects of the Tree of Life, far from
the Supernal Heights.
お互いに平衡を保たれた男性および女性の精力たちは、それらが「至高の高地たち」から
遠く離れた「生命の木」の最も低い様相たちに向かって発展するのと同様に、増加する
密度の中で進化する。
--- ここまで ---

『旧約聖書:創世記』における「男」と「女」の創造は第一章で、「エデンの園」は第二章
に名前が出てきますが、いずれも「聖書」における最初のエピソードであると言えます。

つまり、
・「Supernal Triangle/至高の三角形」:「ケテル」、「コクマー」、「ビナー」
・「Ethical Triangle/倫理的三角形」:「ケセド」、「ゲブラー」、「ティファレト」
・「Astral Triangle/星幽的三角形」:「ネツァク」、「ホド」、「イェソド」
・別格低次元:「マルクト」
という区分からすれば、『旧約聖書:創世記』における「天地創造」と「男と女」の創造
を含んだ、冒頭の「エデンの園」の物語は、「Supernal Triangle/至高の三角形」に
相当するということになります。

とはいえ、『旧約聖書:創世記』に書かれているストーリー自体は、「アッシャー界」の
「生命の木」の物語であるので、一般人がそのまま読んでも、その「至高さ」を理解する
ことはできません。

つまり、「カバラ」という非日常世界のフィルターを通して見ることにより、始めてその
「意味深」なる世界が見えてくる、ということなんですよね。

え、それって単なるイタい人たちのイタい妄想じゃないのかって?

ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!
じゃなくて・・・
も、も、も、も、妄想ちゃうわ!

まあ、こういうのも、人の生き方の一つですので、周りに迷惑をかけない限りは、周囲が
偉そうにとやかく言うようなものでもありませんので、黙って放置しておいて、いやいや
生暖かい目で見守ってあげてほしいと思うのでした。←自己正当化

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